未来世紀ブラジル

見たので感想を書く。

あらすじ

世は管理社会。マシンの誤作動によって書類の「タトル」と「バトル」が打ち間違えられ、無実のバトル氏は連行されてしまう。それを目撃したのがトラック運転手のジル。

一方、主人公のサムは情報省記録局につとめる男。自分がイカロス風の羽をつけて空を飛びまわり、パツキンの美女を救い出す夢を夜な夜な見ている。

サムは名前打ち間違え事件を処理する中で、ジルが夢のパツキンの美女とそっくりであることを知る。サムは様々なコネを駆使してジルに迫るが…?

打ち間違いで助かったタトル氏は書類嫌いのフリーの空調修理屋で、サムの家にやってくる。カッコいい。ロバート・デ・ニーロ

 

 

 

感想

ここからネタバレあり。

 大きなくくりでいえば「ディストピアもの」ということになるこの作品だが、この管理社会はブラックユーモアたっぷりに描写されている。特殊部隊をさんざん突入させたあとで書類にサインを要求する官僚、役所間のたらい回し、たかが小切手一枚をめぐる官僚間の責任の押し付けあい、決済を仰ぐために上司を追いかけ回す大量の部下、etc…。

ディストピアとあんまり関係のない「モンティ・パイソン」的なネタも随所に登場している。

主人公の母とその友達が美容整形レースをしていて、ご友人はヤブ医者に顔を包帯だらけにされても「合併症らしいわ。先生が言うにはすぐ治るそうよ」と言いはる。主人公のアパートは朝起きると自動的にパンが焼けてコーヒーが淹れられて…と、なんともフューチャーな感じになっているのだがどれも誤作動する。

などなど、盛りだくさん。

このような描写を支えているのが映像作家としてのギリアムの手腕だ。ダクト、タイプライターとパソコンが合体したような端末、巨大なビル、スーパーカミオカンデみたいな尋問室、汚いババアの顔など、どれもケレン味たっぷりに描かれている。「リベリオン」のような管理社会の雰囲気を保ちつつ「スター・ウォーズ」「Fallout」「モンティ・パイソンの人生狂騒曲*1」を足した感じで、「Fallout」っぽいガジェットが好きな人はいくつか楽しめるシーンがあるのではないかと思う。

ギリアニメーションは冒頭のニュースのシーンにちょこっとだけ出てくる。

本題

 この映画の骨格を要約すると次のようになる。

「夢に出てきた理想の女性と現実で結ばれようとするが、それは失敗し、妄想の中だけで達成される」

正確にいうと主人公は「夢に出てきた理想の女性と顔が同じだけの現実の女性(ジル)」と結ばれようとしているだけなので、このような試みが失敗するのは客観的にはわかりきっている。現実の女性が、夢のなかの女性に対する愛を受け入れてくれるとは考えにくい。

だが彼の立場ではそう切って捨てることはできない。なぜか。

ジルの存在があまりにも「現実的」すぎるからではないかと思う。

理想の女性が目の前にあらわれることのどこが現実的なんだと言う人がいるかもしれないが、この「現実」とは「象徴化できないもの」を指している。

ジルは彼にとって「妄想の極限」である。妄想が実現してくれるのはいいことのように思われるかもしれないが、それは人間に狂気をもたらす。「精神病者」になってしまうということだ。

ラカンが述べたように、人間の「欲望の対象」というのはふつう隠蔽されている。糸井重里の名コピーに「ほしいものが、ほしいわ。」というのがあるが、これがよい説明になっていると思う。「なぜそれが欲しいのか」という理由を説明するのはとても難しいことで、「みんな持ってるから」とか「材質が気に入った」とか口でいってみても、欲しいものを目にしたときに自分の心のなかにわきあがってくるあの「欲望」を説明できていないことに気づくだろう。

それに対して、精神病者の「欲望の対象」は実体化している。幻聴・幻覚を想像すれば、妄想にすぎないことが実現してしまうことがいかに恐ろしいかわかるだろう。ジルはそのような意味で、主人公にとって恐ろしいものだ。だから彼は狂ったようにジルを追いかけてしまう。また、ジルは妄想と現実の交わる異常なポイントそのものだから、そのポイントに直接触れてしまうこと=終盤のセックスシーンは、彼に決定的な破滅をもたらす。あのシーンでジルが長髪のかつらをつけているのは不自然に思えるが、主人公が現実から妄想に足を踏み入れてしまったことを表していると考えると納得がいく。

その他
  • ジャック役のペイリンはいい演技をしている。笑顔で「僕たちは旧友だ。だからしばらく近寄らないでくれ」みたいなことをいうシーンはいかにも英国人。
  • ラストシーンは主人公が発狂したことがわかるオリジナル版と、ジルとトラックで逃げ出すところで終わるハッピーエンド版があるらしい。ひどい改変。
  • ヘルプマン氏のトイレを手伝うシーンや、棺桶から肉塊がくずれ落ちるように出てくるシーンなどの「汚さ」がいい味出してる。
  • いつのまにかジルが主人公を好きになっていることは唐突に感じた。
  • 主人公の夢のなかや拷問のシーンで出てくる赤ちゃんのような仮面、Green Dayの「Basket case」のPVにも似たようなやつが出てきたけど海外ではよくあるやつなんだろうか。シンプルながらに気持ち悪くてよかった。 


Green Day - Basket Case [Official Music Video]

 

 

*1:食事会場が「クレオソート氏」のスケッチとどことなく似ている 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm280619

アウト寸前がカッコいい

 この世で何が怖いといっても、「バイトに遅れる夢」と「何をしでかすかわからない悪役」ほど怖いものはない。後者の代表的なキャラクターといえばノーマン・スタンスフィールド。「レオン」でゲイリー・オールドマンが演じた極悪麻薬捜査官だ。

※以下、映画「レオン」「イングロリアス・バスターズ」「パルプ・フィクション」についてのネタバレがあります

f:id:silver801:20160111200628j:plain

 スタンスフィールドは、麻薬取締局の刑事であるにもかかわらず自らもまたドラッグ中毒だという矛盾をはらんでいる。麻薬の錠剤を噛みつぶし*1ベートーヴェンを聴きながらショットガンを撃ちまくって、何人殺しても平気な顔をしている。これだけでも恐るべきキャラクターだが、スタンスフィールドのほんとうの怖さは、怒りの沸点がつかめないところだ。

 この男はキレるべきときにキレないのに、キレなくていいところでキレる

 麻薬を横領していた部下を問いつめる時なんかは大声を出さない。しかし、

「部下を全員呼べ」という指示を出して

「全員?」と聞き返されたときは

全員だ!!!」とそれはすさまじいキレ方をする。

www.youtube.com

 なんというか身内にはいてほしくないタイプの人間だが、観客に「次に何をしでかすかわからない」という緊張感をあたえる意味ではすばらしいキャラクターだといえる。

 

 この型のキャラクター造形・ストーリーづくりがうまいのが映画監督クエンティン・タランティーノだ。タランティーノ映画には「平穏の突然な破綻」という流れがよく見られる。「イングロリアス・バスターズ」なんかほとんどその繰り返しと言っていい。要はくだらない会話を長く続けたあとに突如として銃撃戦がはじまるあのスタイルのことだ。*2

 タランティーノの出世作「パルプ・フィクション」からこのスタイルは確立されている。ダイナーでくだらない会話をしているカップルが銃を振り回して強盗をはじめる印象的なオープニングがまさしくそれだ。

 

f:id:silver801:20160111204543j:plain

パルプ・フィクション」といえば、殺し屋二人組もスタンスフィールド刑事のようなキャラ性を持っている。サミュエル・L・ジャクソン演じるジュールス(右)は、ハンバーガーの話をしながら片手間に男を撃ち殺したかと思えば突然大声を出してキレる。かと思えばでたらめな聖書の一節を暗誦してみせる。

 ジョン・トラボルタ演じるヴィンセント・ベガ*3(左)は、ビジネスライクな面があるかと思えば短気で、たとえどんな状況であっても人に命令されることを好まない。

 ふたりとも「いい人」「行儀のいいカッコよさ」とはほど遠い人間だが、それでも魅力的だ。変にカッコつけてるキャラクターよりも、こういった人たちのほうが(映画としては)いいなあと思う。アウト寸前がカッコいい。

 

 

 

*1:

Gary Oldman - Leon - pills - YouTube

*2:ヘルシュトローム少佐を交えて人物当てゲームをするところなどがわかりやすい。

*3:トラボルタがいちばんカッコよく演じている役だと思う

サークルクラッシュとは皇居であり、天ぷらである-バルトで読み解くサークルクラッシュ

はじめに

 浜の真砂は尽きるとも、世にサークラの種は尽きまじーーというわけで、サークルクラッシュ*1は今やありふれた現象だ。大学の文化系サークルを筆頭にして、構成員が恋愛経験にとぼしい集団なら「サークルクラッシャー」は発生しうる。

 そしてサークルクラッシャーが存在する以上、被害者(と呼ぶべきかはわからないがともかく被害者)である「クラッシャられ*2」が存在する。べつに同性愛でもなんでもサークルクラッシュは起きうるのだが、ここからは「サークルクラッシャーが女性、クラッシャられが男性」として話を進めていこう。まあこの組み合わせが一番多いだろうからゆるしてほしい。

 サークルクラッシャーが自らの承認欲求*3を満たすために女性の少ないサークルで「姫」として君臨し男性メンバーに愛想をふりまく。だが、やがて男性どうしの嫉妬によってサークル全体が崩壊へといたるーーというのがクラッシュ現象の一般的な解釈だ。しかし、この解釈はいささか「クラッシュの中心」にかたよった見方ではないだろうか。

空虚の中心

 フランスの思想家ロラン・バルトは、日本を題材にして「表徴の帝国」という本を書いた。その中でバルトは、大都市東京の中心が「空虚」な皇居であることに驚いている。f:id:silver801:20151222235534j:plain

 いかにも西洋人であるバルトにとって、都市の中心とは教会、官庁、銀行、広場などの社会的であり有意味なものだった。だが、東京においては、中心は、彼の言い方を借りるならば「神聖なる<無>」である。重要ではあるが、誰も見ることができず、緑におおわれ、堀で防御された、タクシー運転手に迂回を強いる禁城。よくよく考えたら、世界随一の大都市の中心が<無>であるというのも妙な話だ。バルトが見た皇居とは、そのような意味で「非現実的な中心」だった。

 いったいロラン・バルトの主張がサークルクラッシュにどう関係するのか。先をいそぎたいところだが、ここでもう一つ「天ぷら」の話をしよう。f:id:silver801:20151223000221j:plain

  バルトはかなりの日本びいきで、天ぷらを

1つの逆説的な夢、純粋にすきまからだけでできている事物という逆説的な夢を、具現するもの

と褒めたたえている。そんなに高い天ぷらを食べたこともない日本人からすると「そこまで言うほどかなあ」という気がしないでもない。だが、ともかくバルトはそう思った。

 すこし考えてみれば日本人にも納得のいく話である。いわく洋風の揚げものというのは油の量感を味わうものだ。バルトの指す「フライ」が何かはわからないが、フィッシュ・アンド・チップスのようなものだろうか。

 それに対して日本の天ぷらに求められるのは言ってみれば「サクサク感」である。バルトふうに言いかえれば「すき間を味わう」ということだ。天ぷらというのは、中心がころもで覆われているように見えて、その本質はそうではない。

サークルクラッシュの中心

 ようやく話を着地させることができる。つまり、サークルクラッシュという現象も、ここまでの例のように「中心が空虚である現象」として解釈されるべきということだ。

 サークルクラッシュにおいて、サークルクラッシャー自身がどれほど魅力的かということは問題にならない。サークルクラッシャーは魅力的な偶像ではない。東京の持つ文化力や経済力の主役が皇居ではありえないように、天ぷらの主役が"たね"ではありえないように、サークルクラッシャーはクラッシュの主役たりえない。

 なんらかの(空虚でない)中心があって、それが周辺に影響をおよぼすーーというのは自然でわかりやすい考えかただが、正しいとは限らない。このような「天動説」的な考え方にとらわれず、「地動説」的な考えかた、つまり「じつは回ってるほうが主役じゃないのか?」と考えてみることは、どのような問題においても大切だ。 

*1:恋愛経験に乏しい男性または女性の割合の多いサークルや集団に少数の異性が参加した後で、その異性をめぐる恋愛問題によって急にサークル内の人間関係が悪化する現象のこと。また、それによって結果的にサークルが崩壊する現象のこと。なお、同性愛などでも起こりうる。<サークルクラッシュ同好会とは - サークルクラッシュ同好会の定義>

*2:ここではサークルクラッシャーに翻弄される男性を指す

*3:SNSで乱用されている言葉なのであまり使いたくないが、まあ仕方がない

映画『ハーモニー』考――「親殺し」の物語

先日、伊藤計劃「ハーモニー」の映画版を見てきた。

project-itoh.com

これより前に公開されていた伊藤計劃作品*1の映画化である「屍者の帝国」は(僕からすると)満足できない映画だったので「ハーモニー」にもあまり期待はしていなかったが、いざ見てみるとなかなか良い映画だった。2つの映画の比較は本題ではないのでおいておくが、簡潔に言うと「屍者の帝国は原作未読者好み」「ハーモニーは原作ファン好み」ということが言えるのではないかと思う。

ひとまずの感想

この映画化は、とにかく作品の要点をつかみきっていると感じた。映画「屍者の帝国 」は鑑賞していてどうも製作者の意図するところが原作と大きく異なっているように思えたが、ハーモニーに関してはそのような違和感はなかった。映像化に際して、限られた時間の中で最大限作品のもつ雰囲気や主張を伝えられていた。

原作の細かい描写が生かされているところも良かった。みんな原作を読もう。レズ描写は濃い目だったように感じるがまあ許容範囲だろう。

さて、ここで書いておきたいのは、主人公・霧慧トァンとかつての親友にして宿敵・御冷ミァハとの関係性についてである。いちおうネタバレ注意!

御冷ミァハという代理母

霧慧トァンの母親は、物語中でほとんど存在感を発揮しない。父・霧慧ヌァザが重要な役割をはたしているのとは対照的に、である。だが、これは単なる描写の欠落を意味しない。この「母親」の位置に、御冷ミァハが代理されているからだ。

よくわからない主張に見えるかもしれないが、「御冷ミァハは霧慧トァンの代理母である」という仮定を受け入れれば、「ハーモニー」という物語は筋の通った「エディプス・コンプレックスによる親殺し」の物語として解釈できるのである。

1.母としての御冷ミァハ

子供時代の霧慧トァンは、御冷ミァハをカリスマとして崇めていた。ミァハは、トァンに知識を与え、主張をあたえ、愛(ある種の性的な接触)までを与えた。そして、父親に対しては「WatchMe」を――ミァハにとっての敵となるシステムを作る一端となった人間として、母と自分を置いて消えた人間として、ある種の憎しみを抱いていたはずである。 

この「母という根本的な対象、父との対立」ということが、スタート地点になる。

2.御冷ミァハの喪失と「父殺し」 

やがて、トァンは自殺未遂によりミァハ=代理母を失う。トァンの本当の母親は病床でトァンの回復をよろこんだりミァハの死に涙したりしたものの、それはトァンの嫌悪する「一般的な市民」の像にほかならず、これはもはや母親たりえない。

そして物語の中盤、トァンは「大量自死事件」の関係者として、自らの父親・霧慧ヌァザを追うことになる。死んだと思われていたミァハの居場所を知ることも、父親を追う目的に含まれている。ここでは、父親に対する親愛の情などはいっさい感じられない。父親を追うのは事件を解決し、母親の行方を知るためであって、いざとなれば父親にも容赦しないという含みさえ感じられる。本人の弁を借りるなら、

教授、わたしが探しているのは御冷ミァハです。父は、そこに辿り着くための手がかりに過ぎません

ということだ。

2.1 霧慧トァンの男性らしさについて

結論をのべる前に、霧慧トァンの「男らしさ」について書いておきたい。トァンは戦場で優秀な働きを見せ、酒と煙草を嗜むいかにも男勝りの女性である。この性格も、御冷ミァハを失ったことにより母とすべき人がいなくなり、逆に自らを父親にある意味で重ねあわせていこうとした結果だと考えられる。

3.母親と父親の取りかえ

最終的に、霧慧ヌァザはトァンをかばって死亡する。この父の死をめぐってトァンは、御冷ミァハは過激派であり父の死はミァハに起因すること、ミァハの望む世界は「意識のなくなった世界」であることを知る。

ここで、トァンの気持ちはミァハから離れ、「父と母の取り換え」が生じる。父ヌァザとの対立が解消され、「母」であるミァハに対する強力な敵対心が生まれる。かくしてトァンは母から独立した女性となり、ミァハとの対決に赴くわけである。

おわりに

この「ハーモニー」の解釈はフロイトの「エディプス・コンプレックス」理論によっているわけですが、どんな作品でもこじつけで解釈できる気がしてきた!実際ベンリ!

 

*1:円城塔が大半を執筆

完全な言語 - 記号と感覚の一致

1.はじめに

荒俣宏の「パラノイア創造史」という本を古本屋で見かけて買ってみたのだが、なかなか面白かった。「創造と狂気」をキーワードにしたエピソードを、アレクサンドリア図書館の炎上から岩倉具視全権大使による遣欧使節団の渡米にまでおよぶ雑学をまじえながら紹介しており、荒俣宏という人の博覧強記を思い知らされる気がした。

この本の「偉大なる記憶力の持ち主」というエピソードの中に「普遍言語」「完全言語」という興味深い概念が出てきたので少し紹介してみたいと思う。

2.共感覚

共感覚」というものをご存知だろうか。共感覚とは「文字に色が見える」「音に色が見える(色聴)」「数字に形を感じる」といったように、ある刺激に対してふつうの感覚とは異なるものを同時に感じることをいう。色聴ならば「ドは赤色、レは黄色、ミは緑色がかかった青色…」といったぐあいだ(色は一例)。とくに文字・音に色が見えるというのは言わば「ありふれた」共感覚で、さかんに研究されているようである。

これらの共感覚はかなりの一貫性をもっており、研究者が共感覚者に対して何度も実験を行っても間違えるようなことはないらしい。

さて、共感覚というのはここまで紹介したような単純な感覚の対応に限られているわけではない。C.B.シェレシェフスキーという「五感すべてにわたる」共感覚を持った男がその一例である。

3.「記憶の人」シェレシェフスキー、そして完全言語

シェレシェフスキー、通称「記憶術師シィー」は、すさまじい記憶力と共感覚で名を馳せたラトビア生まれのユダヤ人である。無意味かつ膨大な数列の暗記までをも可能とした記憶術の詳細は割愛させてもらうが、真に驚くべきはその共感覚である。彼は、音に対して「色、感触、におい、味、これらを総合したリアルな体験」を感じることができたらしい。

さらに、彼は言語にたいして独特な感覚をもっていた。

ここにという線がありますが、これは、何かЭ(エー)――Ы(ウイ)――Й(イ)の間の音です。――このような線、これは子音で"Р(エル)"という音に似ていますが、純粋な"Р"の音ではありません。

このような供述から導かれることがある。彼の感覚がただしいとするならば、「エル」という発音を表すには「」のようなかたちの文字が使われるべきであって、キリル文字において「エル」を「Р」というかたちの記号で表しているのはまったくの間違いということになる!

しかしこのことは新たな希望を示唆する。われわれの用いる言語は今のところ、文字の形と意味には特に関連性がなく、言ってみれば「暗号解読ゲーム」のような状態になっている。だが、もし発音と記号をうまく対応させることができれば、「記号のかたち」と「意味」が完全に合致した、「完全言語」「普遍言語」がつくれるということである。

4.おわりに

紹介はしなかったが、大正=昭和期でも随一の怪建築「二笑亭」に関するエピソードやドグラ・マグラの元ネタとなった(と荒俣宏が主張する)「桜姫全伝曙草紙」についての逸話など、とくに日本の精神病について秀逸な章が多いので興味のある方には一読をおすすめする。こういう話をする際には定番の感もあるフロイトについての章もある。

パラノイア創造史 (ちくま文庫)

パラノイア創造史 (ちくま文庫)

 

 

 

広島旅行ダイジェスト-1日目

気づいたら広島にいました。

f:id:silver801:20150502205523j:plain

というわけで友人のマカロンと決行したノープラン広島旅行の模様を写真つきダイジェストでお届けさせて頂きます!

 

14時

広島駅に到着して「何か面白いものないかな〜」とか言いながら改札口を出たらいきなり曰く言いがたい形状のオブジェが鎮座していて気が狂いそうになりました。意図が分からない。

f:id:silver801:20150502210543j:plain

 

気を取り直してひとまず美術館を目指して歩いていたら何らかの法律に違反しているであろう角度の歩道橋が出現した上にエロ本が落ちていました。広島の法秩序に一抹の不安を抱く。無法地帯かここは。

f:id:silver801:20150502210835j:plainf:id:silver801:20150502210759j:plain

 

14時半

f:id:silver801:20150502211806j:plain

f:id:silver801:20150502211810j:plain

 

 15時

f:id:silver801:20150502212014j:plain

美術館の隣にある「縮景園」という日本庭園を見ました。ようやく観光旅行らしい。 後から知ったんですが日本の歴史公園100選にも選ばれた由緒正しいお庭でした。「縮景」というと「縮地」みたいで格好良いですが要はいろいろな場所の景色をこの庭にミニチュアとして集めたということのようです。

間違って池に落ちたら喰われそうなぐらい鯉がいたことが主な思い出です。パニック映画

でも始まるのかこの庭は。

f:id:silver801:20150502212907j:plain

 

15時半

ホテルにチェックインすべく歩きはじめました。路面電車が素敵。

f:id:silver801:20150502213202j:plain

途中、完全に売り物の花に侵食された花屋を見つけたので店主の無事を心から祈りました。

f:id:silver801:20150502213456j:plain

 

17時半

「みっちゃん総本店」という広島焼の有名店で夕飯。美味しいという話を聞いていたので何気なく行ってみたら1時間待ちの大行列ができていたので鼻血が出そうになりました。超有名店だったらしい。待ち時間が暇だったのでiPhoneの将棋盤アプリでマカロンに将棋を挑んで2戦2勝しました。

f:id:silver801:20150502214059j:plain

みっちゃん総本店|お好み焼 みっちゃん総本店

1時間待って空腹が限界に達していたのもあってハチャメチャに美味しかったです。オススメの牡蠣うどん肉玉子を食べて早くも広島感を充填できたので良かったです。若干食べ進んでから写真を撮ったので神話生物のような見た目になっていますが本当に旨かった。

f:id:silver801:20150502213751j:plain

 

2日目は宮島に向かいます!

 

バイオレンス:TRPG

1.VioLence™にようこそ、このクソ野郎。

バイオレンスとは世界最高のTRPGたるパラノイアのデザイナー、グレッグ・コスティキャンが開発したTRPGだ。そのルールブックの中身はクソ出版社の印税に対する恨み事、プレイヤーに対する罵倒、その他無作法なことなんでもといった感じで、まともなTRPGプレイヤーならまず手を出さないだろう。だがパラノイアが好きな人、ソード◯ールドやアリアンロッ◯・サガなんてプレイする気もないという捻くれた人はぜひプレイしよう。

しかしこのゲームはインターネットにほとんど情報がなく、ルールブックもなかなか入手が難しいので、少しでも興味を持ってもらえるようにデザイナーに怒られない範囲でシステムを説明してみたいと思う。

2.VioLence™とは?

以下引用。

VioLence™は、他社から出ているダンジョンズ&ドラゴンズ®によく似ている。お前とお前のダチは、想像上の世界に存在する人物を演じることになる。迷路をさまよい、ドアを蹴り破り、その先にいる者を全てぶち殺し、有り金全部はぎ取るのだ。D&D®との主な違いは、エルフやドワーフ、魔法の呪文などといった戯言が飛び交う、どこかの三流ファンタジー作家が書いたような世界ではなく、現代社会が舞台だということだ。お前が蹴り破る扉は、地下迷路の扉ではない――地下鉄にいるのでなければな――上品で、誠実で、ただ真面目に働き生活する人々のものだ。殺す相手はボール紙の「モンスター」ではない。このゲームで敵として定義され、殺しても良いとされているもの――すなわち人間である。(後略)

この解説でほぼ内容は尽くされているだろう。要はプレイヤーが人間のクズに扮して無辜の市民を虐殺する最低のゲームである。プレイヤーはダンジョンの代わりに年金生活の老人の家に押し入り、宝箱ではなくタンスの中身を漁るのだ。金、暴力、殺人、麻薬、ドラッグ!

 

3.特徴的なゲームシステム

まずプレイに必要なものだが、

  1. ルールブック
  2. 現在発売されている、また今後発売されるVioLence™グッズ全て。これらには必ずVioLence™ロゴが入っている。VioLence™Tシャツ、VioLence™偽ゲロと血糊、…
  3. VioLence™ロゴ入りサイコロをいくつか。普通のサイコロと違うのはVioLence™のロゴが入っていることと、値段が少し高いことだ。…

 とまあこんな調子である。念のために言っておくがこのようなグッズは存在しない。

このゲームのキャラクターシートには単なる白紙を使う。能力値には筋力、耐痛力、耐久力、迫力、その他の五種類があり、先の四種類の技能に当てはまらない判定(一桁の足し算をするとか、子供を寝かしつけるとか、何でも)は全てその他で判定する。なんという素晴らしいシステムだろうか。能力値を設定するにはダイスを用いるが、

今度は自分たちの能力を決定する必要がある。3D6を振れ。立方体のそれぞれの面に小さい点がいくつか入ったやつだ。わかるか?これらはサイコロと呼ばれるものだ。

とまあこんな調子である。

また、キャラクターは一般的なHPの他にPP(ペインポイント)を持っており、HPがゼロになるとキャラクターは単に死ぬが、PPがゼロになるとわめき、泣いて許しを乞い、周りの人間の言うがままになる(”ブッ壊れる”)。

それぞれの武器はダメージとペインという二種類の攻撃力を持っており、ダメージが少なくてペインが多い(相手を殺すのではなくペインポイントをゼロにすることができる)武器を選ぶのがこのゲームの戦闘を楽しくするコツである。例えば釘打ち銃とか、アルカリ性溶剤とか、台所用ガスバーナーとか、瓶の部分が壊れた台所用ミキサーとか、むき出しになった電線とか。

武器や服には隠蔽値が設定されており、隠蔽地が+になっていると警察に見つかりやすい。例えばナイフの隠蔽値は+1でトレンチコートの隠蔽値は-3とかそういった感じだ。

スキルについては徒手格闘、ハンドガン、ナイフ投げ、文字を読む文字を書く、落書き、拷問など色々あるがここでは略す。ドラッグやファックに関する説明もルールブックに書いてあるが、細かいルールはなく、GMの裁量による部分が大きいようだ。

 また、ルールブックには通常の(ファンタジー的な)TRPGのモンスターに当たる形で田舎娘、不法入国者、ばあちゃん、はたまたビンラディン一味、ちっこいガキンチョとママ、尻の穴でハアハア言ってる奴、などの無辜の一般市民のステータスが記載されている。また、「豚ども」の欄では上記よりは強い敵、つまり警官のステータスが記載されている。

また、ワンダリング被害者表ランダム建物表が載っているため、GMはそこらへんを歩いている哀れな犠牲者や、プレイヤーが押し入ろうとしている建物の間取りを瞬時に決定することができる。

 

まあ、こんな感じだ。シナリオは麻薬を密売して南米に高飛びするとか銀行強盗とか強姦殺人とか似たり寄ったりなのであまり気にしなくていい。

 

4.おわりに

以上短い解説だったがバイオレンスの雰囲気を感じていただけただろうか。

 それでだ。ロールプレイング・ゲームで最も迷惑な面の1つが、何人もの野郎どもが1つのルールで数十年も遊びまくり、その間びた一文払わないことだ。つまり、1つのルールブックで何年も娯楽を提供できるってことだ。その間俺の得られる物といったら1800円の5%、90円がいいところだ。…

というデザイナーの悪態も入っているこのルールブック、興味のある人もない人も買ってあげてくださいね!