雨の日は廃墟の話でもしよう

はじめに


ちょっと前に、口笛文庫*1で「見えない都市」という小説を買った。

見えない都市 (河出文庫)

見えない都市 (河出文庫)

マルコ・ポーロフビライ・ハンに自分が見聞してきた(空想的な)都市の様子を語り聞かせる、というのがいちおうのあらすじだが、どちらかといえば散文詩のような雰囲気で明確なストーリーはない。マルコ・ポーロフビライ・ハンが交わす会話もたいへん空想的かつアンニュイ。モンゴル皇帝って全員脳筋じゃないの?
さて、そのなかにバウチという都市*2についての話がある。一部引用する。

……バウチの住民については三つの仮説が与えられております。すなわち、彼らは大地を憎んでいるのか、あるいは逆に、一切の触合いを恐れるほどにそれを尊敬しているのか、さもなくばまだ彼らの存在し始める以前とそのままの大地を愛しんでおり、遠眼鏡、望遠鏡を下にむけて、木の葉の一枚ずつ、小石の一つずつ、また蟻一匹ずつを順々に眺めまわしては、おのれらの不在にただ恍惚と見とれているのかでございます。

「おのれらの不在にただ恍惚と見とれている」というのはとてもいい。ぼくはこの言葉からなんとなく廃墟を連想する。

そして誰もいなくなった

廃墟はいい。このことには疑いがない。廃墟が好きな人でなくとも
「この建物の寂れた感じ、味があっていいよなあ」
なんて言ってみたりすることはあるだろう。
だが、なぜ廃墟がいいのかという質問に答えるのは難しい。
ひとつ言えるのは「廃墟には人がいない」ということだ。何を当たり前のことを、と思われるだろうが、人が定住/定期的に利用していたらそれは廃墟ではない。*3。このことは重要である。
たとえば、廃墟の写真は人がいない状態で撮られるべきである、というのは多くの人が持つ美意識だと思う。つまり、「おのれらの不在にただ恍惚と見とれ」ることができる状態であってほしいということだ。廃墟を舞台として撮られた人物写真は、被写体に生活感が漂えば漂うほど我々の気を滅入らせる。被写体はあくまで「廃墟のように」振る舞わなければならない。
標語的に言えば、「人間はいらない」ということだ。
この点において廃墟は「世界で最後の一人になったら」というシチュエーションと深くつながっている。無人の都市はきっと美しいにちがいない。大量の人類によって作り出された文明世界は、人類が絶滅したときに最良の時を迎えるのかもしれない。ここには逆理がある。他人の存在についての逆理がある。社会が作り出した果実をたったひとりで独占したいという僭主としての欲望がある。
廃墟はこのような状況のミニチュアとして見ることができよう。
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人間抜き。

世界の終わり、の予兆

さて、ここまで述べてきたように、廃墟には人がいない。このことは我々に自由をもたらす。
たとえばA.タルコフスキー「ストーカー」を見てみよう。

Сталкер

この映画ではゾーン*4の奥にある廃墟の部屋が「願望機」になっている。自分が心の奥底で望んでいる願いを叶える部屋だ*5
これが廃墟の奥底に設定されているのはある種の必然だろう。なぜ「部屋」があるのか、誰にもわからない。それでいい。ここにおいて説明は不要である。廃墟の存在的曖昧さ、自由さがこのような装置の存在を許している。
血気盛んな人たちが廃墟で家具をぶち壊したりするのも、「誰もいないから」「どうせ壊れてるんだから」という開放感があってのことだと思う。当然のことだが創作物で悪役が潜伏する際にも廃墟はしばしば選択される。廃墟はアウトローの住処だ。たとえば、帝都物語〈第弐番〉 (角川文庫)で魔人・加藤保憲が潜伏先としたのは谷中の荒れ寺であった。

これらの自由さは、人がいないというだけでなく「この建物は、この場所はいずれ自然に還る」「いずれ滅びる」という予感にも由来する。(社会的に)建築されたものであるにも関わらず、法律や社会通念をはなれ、自然になろうとしているところが廃墟の魅力のひとつなのかもしれない。
Instagramのアカウントに「castlesofscotland」というのがあるが、これを見ていると「よくこんな場所に建ってるな」という気持ちとともに「滅び」を強く感じる。

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Slains Castle was built by Francis Hay, Earl of Erroll from 1597 onwards. Some years earlier he had converted to Catholicism and subsequently supported the rebellion of George Gordon, Earl (and later Marquis) of Huntly, which attempted to reverse the Scottish Reformation. ▫️ The uprising was defeated and in 1594 the family's original residence, Old Slains Castle, was destroyed by James VI (I of England) in retaliation. Hay fled the country but returned in 1597 and made peace with the King. He recovered his estates but opted not to rebuild his former family seat and instead replaced it with (new) Slains Castle. ▫️ The castle was still an impressive structure in the late nineteenth century and it is thought to have influenced the author Bram Stoker at the time he was writing Dracula whilst he was staying at a cottage in Cruden Bay in 1895. ▫️ Slains remained in use until 1916 when it was sold to Sir John Ellerman, a ship-owner, who subsequently dismantled parts of the site. By 1925 the roof had been removed. A plan devised in the 1980s to convert the site into tourist accommodation has, to date, come to nothing. ▫️ Image by @ajacks321 ——————————————————— #scottish #lovescotland #scotland #historicscotland #scotspirit #visitscotland #love_scotland #travelinggram #dronephotography #thisisscotland #travelphotography #brilliantbritain #ig_worldclub #igersscotland #goexplore #castle #discoverglobe #discoverearth #roamtheplanet #history #castlesofscotland #scotlandsbeauty #passionpassport #discoverscotland #greatnorthcollective #scozia #scotland_greatshots #coastal #abandonedplaces #dronestagram

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通勤とかしにくそう。

You are dust, and to dust you shall return

*6一方で純粋な自然と比べたとき、廃墟は「死」の臭いを漂わせている。廃墟は建物の死であり、その最期は必ずしもきれいなものとはいえない。トマソン*7のように半死半生の状態で保存されてしまったようなものもある。
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フロイトは「……すべての生命体の目標は死である……」と述べた*8。まあわざわざフロイトなど引かずとも、死というのは意外とポップなものである。ゾンビ、フランケンシュタインの怪物*9、連続殺人鬼のエピソード、はげしい威力をもつ感染症*10、etc...に興味をもつ人は少なくないだろう。あえて我々はこの死を肯定しよう。すべての人は死ぬ、にもかかわらず。

人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない*11
死、この絶対的主人*12

「そんなことわかってるよ」と皆言うだろうが、もう一度自分の口で反芻してみよう。「すべての人が死ぬ」。この事実だけが我々の世界を貫いている。これにはあらゆる解釈が与えられうるが、事実は事実だ。
だが我々にとってほとんどすべての死はひとごとである。「死は、「この私」に起こる」*13ということを忘れている限りにおいては。「この私」の死は看取ることができないが、他者の死はそれを看取り葬送することができる。その限りにおいて廃墟は鑑賞されうる。「俺は生きているぞ」などというむなしい言明はここでは必要とされない。みな死んでいる。廃墟を鑑賞し、それを死なしめることによって、我々は死を超越することなどできないということを知ることができる。
使い古された言葉だが、"memento mori"、「死を想起せよ」ということだ。廃墟には明らかにこの機能がある。

話は変わるが、全国で名前は違えど「空き家条例」に類するものが2010年ごろから制定されはじめている。これらは廃墟を持ち主にかわって行政代執行で撤去できるようにするもので、一時期の廃墟解体ラッシュをもたらした*14。これは廃墟にとっての葬送なのだろうか。*15

太古の森林へ

また、廃墟は我々を拒絶する。廃墟というのは魅力的であると同時に行ってはいけないところだ。法としてもそうだし、床板が腐食していたり天井がくずれてきたりする実際的な危険もある。先ほど述べたことと矛盾するようだが、自由な廃墟など存在するのだろうか。むしろ廃墟は禁止されることによってその魅力を増すのか。
このようなことが描かれているのがベックリン「死の島」*16
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で、ぼくはこの絵がかなり好きだ。石壁や蒼古とした森があらわす厳然たる拒否、タイトルを見ずともわかる濃密な死の気配、それでいて漂うほのかな安心感。秘密基地のようなどこか懐かしい感覚。
この絵はまた古いゲルマンの森林信仰を思わせる。タキトゥスゲルマニア*17によると、セムノーネース族には神聖な森に人身を捧げて秘儀(primordia)を執行する伝統があったというが、この森にはルールがある。鎖に身体を縛られることなくしては入ることができず、中で躓いたとしても他の人はそれを助け起こしてはならない。ゴロゴロ転がって森の外へでるほかないようだ。これは単なる部族の風習という以外の意味を持っているとぼくは思う。
拒絶によってうまれる神聖性というのも廃墟を構成する一要素であろう。

おわりに

廃墟にはさまざまな側面があるという話でした。
文中で廃墟の解体が進んでいるということを書いたが、兵庫県が誇る廃墟の女王・摩耶観光ホテルは逆に観光資源にして活用しようということになっているらしい。
www.kobe-np.co.jp
廃墟とひとくちに言ってもいろんな生き様がありますね。廃墟、サイコ〜〜!!(カメラに向かって笑顔)

*1:大学の近所にある、本がそこかしこに山積みになっているタイプの古本屋。最高。 https://www.kuchibuebunko.com/blank-2

*2:竹馬のような脚に支えられた空中都市

*3:一時期のピエリ守山 - Wikipedia のような「生ける廃墟」が存在するという見方もあると思うが、あれは単に人がいないショッピングモールであって廃墟ではない。私見。人がいないショッピングモールには「廃墟的」な最高さがあるという意見には賛成。

*4:チェルノブイリ原発事故によって立ち入れなくなった地域も後にこう呼ばれるようになった。

*5:勘のいい方はこの記述の危うさに気づかれただろう。作中には、弟の復活を願ったはずが大金を持って帰ってきたジカブラスという男が(名前だけ)登場する。

*6:創世記3:19

*7:有名なので註をつけるまでもないかと思うが、「建築物に付着して、美しく保存されている無用の長物」、たとえば行き先のない階段や2階の壁に設置されたドアのようなもののこと。超芸術トマソン (ちくま文庫)がバイブル。

*8:「快感原則の彼岸」、たしか「自我論集 (ちくま学芸文庫)」に収録。

*9:フランケンシュタインというのは怪物の名前ではなくそれをつくった科学者の名前で……というのはシェリー研究者が話のマクラによく使うらしい。

*10:ぼくはエボラ出血熱を描いた「ホット・ゾーン」を読んでめちゃくちゃおもしろいなと思ったが、どうもこの本は専門家からの評判が悪いらしい。

*11:江川紹子」「「オウム真理教」追跡2200日」ビデオの中で衝撃的な映像とともに麻原自身の声でこの言葉が繰り返される。

*12:Lacan, S. Ⅵ "Le désir et son interprétation"

*13:佐々木中「夜戦と永遠」河出文庫 p242

*14:2010年に埼玉県所沢市都道府県においては和歌山県の「景観支障防止条例」が初出。このあたりの記述は「廃墟本remix」ちくま文庫 による。

*15:もちろん廃墟に興味がない人たちにとっては至って喜ばしい条例なのは言うまでもない。

*16:画像はWikimedia Commonsから。

*17:岩波文庫泉井久之助訳註

数はたくさん数えられるから神

どういうこと?

地球のみなさんこんばんは.さいきん「数ってマジですごいな」と思うことが多いのでその話をしようかと思います.みなさん知ってますか,「数」.数は便利ですよ.なんたってたくさん数えられますからね数は.こんなに便利なものはそうそうないですよ.院長先生俺あ正気だァ監房から出してくれェ〜〜ッ
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本題

おことわり

「そもそも数って何?」という質問に答えるのはたいへん難しいのでここでは説明を控える.「こいつは我々が日々つかっているあの『数』について話しているんだな」という目線で読んでもらえるとありがたい.数とは何か知りたい方は

  1. 足立恒雄「数とは何か そしてまた何であったか」

数とは何か そしてまた何であったか

数とは何か そしてまた何であったか

など読まれるとよいと思います.

数のいいところ

村上春樹のエッセイか何かで読んだ話にこういうものがあった.一昔前のことだが,MacだとWindowsのPCから送られてくる




という機種依存文字を使った箇条書きが文字化けしてこまるので,

(あなご
(いるか
(うに

みたいな感じでやってくれると見れるし楽しいのでサイコー!
……という話だったと記憶している.これが全部ぼくの妄想で村上春樹はこんなこと書いてなかったとしたらごめんなさい.出典が思い出せないんですよ.

さて,村上春樹方式の欠点は何か.それはふたつある.

  1. 海洋生物*1の名前を考えるのがめんどくさいし,一意に決まらない.
  2. 海洋生物の種類には限りがある

「(いるか じゃなくて(いか だろ!」とか不毛な争いが生まれるかもしれないし,海洋生物の種はそんなに多くないだろう.よく知らないが2兆種類いたりはしないと思う.

また,村上春樹方式を海洋生物のことを一旦わすれて単純にすると

(あ
(い
(う

なので,

  • ひらがなが46個しかない

ことが問題の本質的な部分であるともいえる.以下で「数」がこれらの問題をどう解決しているのかについて見ていこう.

数には名前を考えなくていいし覚えなくていい

そもそも数が先程述べたように
1 → あなご
2 → いるか
3 → うに
︙ ︙
みたいになっていた場合,これを覚えるのは難しい.たとえば仕事を指示するときも
倉庫から例のダンボール箱をあなご箱持ってきて,中身をうに個ごとに束にして分けといて
のような感じになってくる.難儀である.百万とか千万のあたりになってくると日頃つかわないので思い出せなかったりするだろう.

それに比べて数は扱いやすい.適当な記数法があれば「次の数」というのはすぐにわかるからだ.あなたが地球人なら,10進法さえ覚えてしまえば 「1, 2, 3, ..., 10, 11, …」と数を数えていくことができる.これは忘れたりどちらが先なのか混乱したりする心配がない.

また,そもそもの問題として「1, 2, 3, …」の「…」はいいとして「あなご,いるか,うに,...」「... 」の意味がわからないということがある.数には「...」という略記法が使えるが単語の列には「…」が使えない.当たり前か?

数は無限にたくさんある

海洋生物のことはわすれて,次にひらがなで表す方法(後者の方法)について考えよう.
ひらがなは46字しかない*2が数はたくさんある.1でも2でも3でも42でも100万でも49穣2垓5000兆でも書き表すことができる.宇宙のすべての物質をインクに変えても書ききれないほど桁数の多い数を考えることもできる.数はめちゃくちゃ便利だ.「1, 2, 3, ...」と*3どこまでも数をかぞえられる.

だがひらがな厨にもそれなりの反論がある.
ぜんぶ使い切ったらもう一回最初にもどったらいいんじゃない?
なるほど.ものの数を数えたかったら
「あ,い,......」
と数えていって,「ん」まで使い切ったら 
「ああ,あい,あう,......」
とすればよいのだ.*4

この反論は正当だろうか.ぼくは必ずしもそうではないと思う.なぜかというと,これは後出しじゃんけんみたいな方法であって「数」の知識を暗黙のうちに使ってしまっているに違いないからだ.ひらがなを単なる46個のシンボルだとみなしてそれを数とうまく対応づけるにはどうするのか,という意識からこのやり方がでてくる.偽装した数だと言ってもいい.

数のことをわすれた上でひらがな列を並べるときは辞書のように



あいあい
あいあん



いあいぎり

いんこ

と並べるのが自然だと思われるが,これは間に「…」が何個も挟まってしまってよくわからないので数をかぞえるには向いていない.

おしまい

数,すごいですね.便利ですね.「数」って概念だと思ってたけど実在する気がしてきました*5
数,サイコ〜〜!!(カメラに向かって手を振る)

*1:もちろん海洋生物じゃなくてもよくて,アナコンダ,イエローラットスネーク,......でもよい.なんでもよい

*2:ものごとをあまり深く考えないので50音順というからには50個あると思っていた.アホである.なお,ゐとゑをいれると48個ある.これがいろは48文字か.

*3:可算の範囲なら

*4:47進法みたいなもの.これは「あ」を「1」に対応させるような書き方になっていて「0」に対応するものがないので気持ち悪いが,それに気づいてしまうあなたはこんな記事を読むべきではない.

*5:ここプラトニズムって書きたかったけど本物の数学的プラトニストがどういう論拠でやっているのかに詳しくないのでやめた

セルジオメンデスの動画,情報量多すぎ問題

セルジオメンデスの映像*1を見ていると演奏を味わう以前に「こんなんおかしいやろ」と思うことが多すぎるので紹介していきたい.パラレルワールドに迷い込んだような気分になる.たぶん脳にいい.

Sergio Mendes & Brasil 66 - Mas que nada (introduced by Eartha Kitt / Something Special 1967)


Sergio Mendes & Brasil 66 - Mas que nada (introduced by Eartha Kitt / Something Special 1967)

  • 右の男の存在感.90%ぐらいこいつのせい.美女コーラスに挟まれながらも堂々とタンバリンみたいなやつ*2を高速で裏返している
  • かと思うとニュッと棒型のシェイカーに持ち替えてクネクネと不思議な踊り
  • カメラ目線やめろ,やめてくれ
  • そんで右の女の人のデカすぎるアクセサリーは何??飛行石??
  • キメでシェイカーを胸にドンッ!!何?発作?
  • セルジオメンデスとマイクの距離が30cmぐらいある.これはまあいいか
  • ラスサビ前,ドラマーが交通事故みたいなフィルを繰り出したあとライドを殴って右に抜ける
  • ピアノソロと同じぐらい右の男のダンスが気になる
  • 人力フェードアウト.ライブでフェードアウトってできるんだ……

Mas Que Nada - Jorge Ben Jor, Sérgio Mendes, Gilberto Gil


Mas Que Nada - Jorge Ben Jor, Sérgio Mendes, Gilberto Gil

  • 声に味のありすぎるリハ.
  • はじまると同時にジョージベンソンみたいなエレキギターが突っ込んでくる.全体的に泥臭い感じなのにこの人だけ終始オシャレ.来るスタジオ間違えた?
  • 歌ってるときもエレキがぐいぐいくる.
  • コーラスに対してボーカルのおっさんがありえないぐらい後乗りでかぶせてくる.縦のリズムはこれでいいのか??
  • この後もありえないぐらい合わせにいかなくて面白い.仲が悪いのか
  • 太鼓みたいなの*3に腕突っ込んでるアフロがニコニコしてる.いつもニコニコしてる
  • スティック回し&スローでもう一度
  • ドラマーのほうが恥ずかしいだろ,こうなってくると
  • 右のおっさんもコーラスと合わせない
  • オ~〜オ↑〜オ↓~オ↓~オ↓~は二回目しか入れちゃいけないのに一回目からガンガンきてる
  • セルジオメンデスが謎のスクワットを開始.ノッてるつもりなのか??
  • ベースのフォームもさりげなくすごい.
  • セルジオ・メンデスがオビョビョビョみたいな音をいれたりしつつ発振させておわり.

Sergio Mendes ft The Black Eyed Peas - Mais*4 que nada

上のふたつは音楽的にもなかなかいいんだけど最近のセルジオメンデスのライブはあまり好みでない.こうなってくると単なるおもしろ映像である.

Sergio Mendes ft The Black Eyed Peas - Mais que nada

  • ブラック・アイド・ピーズとのコラボなんだけど奇跡的におもしろい
  • セルジオメンデスが太ってるしハゲてる
  • ベーシストのタンクトップに「BRASIL」って書いてあるしタンクトップなのに帽子かぶってる.マジで?
  • ギタリストは足踏みしてるし.後半から変なステップにかわるし.
  • ファーギー(女の人)が過剰に腰を振っている.ベリーダンスの発表会?
  • "what the hell was that "la la la la la" 😂😂😂😨😨😨"ってコメントあったけどそのとおりだと思う.
  • ハゲたセルジオメンデスがいかつい服装をした若者に囲まれている感じが,加藤茶と若い嫁とその友達を思い出す
  • ラップはうまい
  • けど食い合わせがわるい
  • ファーギーがしまいにゃ観客席にケツを向けてそれを振りはじめる.
  • 乳がすごい
  • なぜかセルジオメンデスの背後に回り込む
おしまい

何事も標準化・均質化がすすむ現代社会,こういう栄養が偏った動画をみるとなんだか嬉しくなりますね.

*1:まだ髪もヒゲも濃いときのほうがおもしろい

*2:パンデイロといい,タンバリンより表現力が高いらしい.by TNP先輩

*3:クイーカという膜鳴楽器で、膜に繋がった枝を濡れた布で擦って音を出します. by TNP先輩

*4:綴りが違いますね

Red Baron

基本
| Gm7 C9(8分音符一個分シンコペ) |
で,キメのあとが
Eb7∅からの Db7∅??二個目がわからない

この楽譜,いたるところが間違ってる感じがする…こういうバージョンがあるのかな??

Billy Cobham - Red Baron by Jake Arthur on Scribd

こっちはもう少し納得できる
The+Red+Baron" by spallison

Wishbass(ウィッシュベース)がやってきた

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◆買った◆

いやあ、買っちゃいましたWishbass。
Wishbassとはアメリカはケンタッキー州のジジイ、Steve Wishnevskyがつくるベースである。特徴的かつな作り、木材感、お手頃価格などが魅力的。まあたしかに雑なところは多いが、公式サイトなどをみるにめちゃめちゃミュージシャンへの愛にあふれたジジイである。細工の粗さもまた味か。
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公式サイトから拝借してきたWish爺さんの画像。

◆購入の流れ◆

注文

サイトからオーダーもできるがwishbass on eBayに公式の新品がちょこちょこ出品されていて、僕はこれを買った。みんなも毎日eBayで「Wishbass」を検索していいかたちのやつが出てないか眺めよう。最近はこんなハチャメチャなかたちのエレクトリックアップライトが出品されていた。ベース界のバーリ・トゥードか。
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eBayというとヤフオクなどにくらべて馴染みがないが、クレジットカードさえ持っていれば(PayPalを介して)特に問題なく支払いができるし商品も届く。僕はこのWishbass以外にはディジュリドゥウクレレを買ったことがある。*1
さて、12/17にいよいよ冒頭のベースを注文した。お値段は$300.00で送料が$100程度。この送料は高いんだろうか安いんだろうか。
すぐにStephen Wishnevskyからメールが届いて、「月曜に発送するぜ」とのこと。StephenはSteveの息子かな?
追記:本名がStephenで通称がSteveということらしい。綴りがpだからステファンとでも読むのかと思ったらこれでスティーヴンと読むんですね……納得。爺さん本人からのメールでした

待つ

Trackingがしっかりしているので、それを眺めながら待つ。
ケンタッキー州アーランガー→テネシー州メンフィス→アラスカ州アンカレッジ*2
→大阪州泉南→我が家
の順で届いた。到着日は12/25。意外とはやい。
ダンボール箱に緩衝材として発泡スチロールとビニール袋を詰めた状態でやってきたが、発泡スチロールの質が低く、開封作業中に2mmぐらいのスチロール球がポロポロこぼれ落ちるのでそれを掃除するのが大変だった。アメリカのご家庭は気にしないんだろうかこういうの。気にしないんだろうな。
僕は除去しきれてなかったのでお母ちゃんに死ぬほど怒られました。日本の主婦は厳しい。
この開封作業を経て降臨したのが冒頭のベースである。

◆スペックとレビュー◆

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基本性能

4弦、ハムバッカー、コントロールはボリュームのみという漢らしい設計である。
ボディは主にウォルナットで、Purpleheartのラインが入っている。ネックはウォルナットとメイプルで、指板はPurpleheartが貼ってあって綺麗な赤色だ。細工は雑だが木材そのものがめちゃくちゃいいので遠目に見れば数十万のハイエンドベースに見える。めちゃくちゃ遠目の薄目でみれば。
くさいというほどではないが独特の臭いがする。小学校の図工室みたいなノスタルジアを感じる香り。僕がいちばんピンとくるのは室内も土足であがるタイプの学校の木張りの廊下の臭い。
どの部分も厚め?*3のオイルフィニッシュ。ナットとブリッジにはがつかわれている。上の画像の白い三角形みたいなやつが石。石といっても人工大理石(Corian)のようだが。石ってベース作るときにつかっていい素材なの??

重さ

軽い。
今のメイン機・Warwick Streamer LXの重さを体重計で雑にはかったところ、4.4kg。このベースは3.6kg。数字にすると大したインパクトがないが、持ち上げたときの体感は相当ちがう。Warwickは持っただけでボディ部の木がミチミチに詰まっているのがよく伝わってくる。見た目から想像するより重いんである。いま気づいたがWishbassが軽いんじゃなくてこいつが重たいのか?
弾いたときの感じも、Warwickはボディがびくともせず弦がよく鳴っているのに対して、Wishbassは楽器全体が弦といっしょに震えている。正直この点に関してはWarwickのほうがいいと思う。値段がぜんぜん違うのでこのふたつを比べること自体おかしいのかもしれないけど……それにWarwickは僕の肩こりの原因の83%を占めているので軽い楽器はありがたい。

かたち

シングルカッタウェイ・左右非対称なボディは最高。4弦側は9フレットぐらいまで伸びていて、1弦側は24フレット付近まで削り込まれている。右ツノのかたちもかわいい。
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ボディ裏にはWishbassステッカーが貼ってあり、その隣にはシリアルナンバーのようなものが刻まれている。ちなみに弦は裏通し。穴のテキトーな掘り方がたまらない。
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ネックとヘッド

ネックはかなり太い方だと思う。それに木の曲がりを放置してる活かしている部分があるのでわずかに凸凹している。
トラスロッドはない。英語版WikipediaによるとそもそもWish爺さんは自分のベースに金属を使いたくないらしい。だからナットとブリッジが石なのか……トラスロッドがなくてネックが太いので発想としてはアップライトベースに近い。
有名な話だがWishbassのポジションマークはで打ってある。あと目印の鉛筆線がそのままにしてある。こんなに釘打って木材に悪影響はないんだろうか??
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ヘッドは、木材をくり抜いて内側に弦を入れるかなり特殊なつくりである。クラシックギターとすこし似ている。
ふつうのベースのヘッドは高々1cm程度の厚みしかないのにこいつはすごい。今まで使っていたギグバッグに入るか不安だった。いちおう入った。
この機構によって、特に1弦と4弦なんかはかなりテンションが稼げている。
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電装系

シンプルすぎて笑ってしまった。ふつうのジャズベースでも、2ボリューム・1トーンでポットが3つあるので1ボリュームのこれよりはだいぶ複雑になる。
壊れても間違いなく自分で修理できそうで安心だ。DIY精神の高揚を感じる。
左上のネジ穴切りに迷いがみえるのがちょっとおもしろい。どうせ上から板で塞ぐからいいやと思っているのか。
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◆演奏性◆

ボディのカーブはかなり丁寧につくられているのでストラップをつけて持ったときのフィット感はなかなか。
1弦の弦高が低すぎてすこしビビる箇所があるのが気になるけど、トラスロッドが入ってないのでどうせ順反りするからそのうち気にならなくなるはず。
音については、意外と爆音。音ヌケもなかなかいいが、これは周波数がいい感じになっているからヌケるのではなく、節操なくあらゆる帯域が出ているからヌケるだけなんだと思う。人に迷惑をかけるタイプの音である。
まあ太い音がするのは間違いないのでここらへんを意識してバンドに溶け込めるようにつかえばなかなかいいベースなんじゃないかと思う。

まとめ

みんなWishbassを買おう!

*1:ちなみにウクレレは衛生検査(?)をパスできずアメリカを出国できなかった。もちろん返金されたけど

*2:なんでアラスカ通るの!?と思ったが、ヨーロッパ旅行の乗り継ぎにつかわれることがなくなった今でも貨物の取扱量はけっこう多いらしい

*3:ざらついた手触りからそう判断したが、オイルは薄めで木がガサガサなのかもしれない

面影ラッキーホール「代理母」全曲レビュー

はじめに

いまから面影ラッキーホール(現Only Love Hurts)の「代理母」というアルバムをレビューしていくので読んでください。
このアルバムが好きすぎてコピーバンドを敢行した。みんな好きになってくれ〜〜!気合い入れていくぞ〜!
追記: 2018/10/21に偶然aCkyさん(Vo)とお会いした。感激。このブログも読んでもらった。感感激激。
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1.好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた


面影ラッキーホール "好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた" @ WWW
一曲目にしてアルバムいちのキラーチューン。度を越して長い曲名と、それをそのままなぞるサビがクセになる。
そもそも面影ラッキーホールはどういうバンドかというと、そのバンド名は医療用ダッチワイフ「面影」*1と、80年代性風俗産業が咲かせた徒花「ラッキーホール」*2から取られ、歌詞はヤンキー、堕胎、駆け落ち、水商売、シャブ、売春、といったあまりにリアルで後ろ向きなもの、音楽的には様々なジャンルを脈絡なくカットアップしつつも黒人音楽の臭いは濃く漂う、という情報過多なバンドである。*3
主要メンバーはボーカルのaCKyとベースのsinner-yang
さて、この曲の聴きどころはサビである。当たり前のことを言ってしまった気もするが、この曲のよさは「好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた」というメロディーのクサさに尽きる。ボーカルに寄り添うホーンもいい仕事をしている。
その他の部分の歌詞は、単なるリストカットについての述懐にみえて、非常に繊細にかかれている。一回目のAメロと二回目のAメロを見てみよう。

血が出てるのに痛くない
サイレンなんか聴きたくない

白い肌にすっと流れる血が赤い
困らせたいだけの幼稚なおしばい

傷つけたい弱い自分のコト
来てくれないそうあの男はきっと

そうただいじめたい
迎えにはこない

行末のめちゃくちゃ丁寧な押韻と、ただの「病んでる女」ではない細かな心情の表現がいい。
三回目のAメロだけ長さが半分になって「おんぶできない おにもつになるから でもあたし おろしたくない」という歌詞がぽつりとおかれるのもいい。全部いい。

あんなに反対してたお義父さんにビール注がれて


O.L.H.(Only Love Hurts) a.k.a. 面影ラッキーホール「あんなに反対してたお義父さんにビールをつがれて」MV
珍しくMVがある曲。この曲は聴くと泣きそうになってしまうので実はあまり聴いたことがない。
あらすじをいうと、さえない不良(俺)が幼馴染の女の子(みちこ)を孕ませてしまい、みちこの父親に殴られる。ふたりは駆け落ちし、俺は設備屋、みちこはスーパーで働く。ふたりは5年かけて一人前の「父親」「母親」になる。ある日みちこの実家に帰省すると、お義父さんが孫の顔を見て「おじいちゃんだよ おまえのおじいちゃんだよ」と涙を流す……というもの。
面影ラッキーホールの持ち味である過剰なまでの具体性がよく出ている曲。曲の歌詞にはある程度の抽象性があるのがふつうだろう。「青い空 沈む太陽 繰り返し巡る季節*4みたいな。それに何を当てはめるのかは聴く人の裁量である。
だけど、この曲は何もかもわかっていて想像の余地がない。ふつうとは逆の戦略だがこれはこれで物語としての感動がある。
今晩誰かの車が来るたび 闇にくるまり」という歌詞は、
今晩誰かの車が車で来るまで 闇にくるまっているだけ」(アンジェリーナ / 佐野元春
からの引用らしい。後輩の女の子が教えてくれた。なんで平成2桁生まれなのに佐野元春に詳しいんだ??
追記: 本人にお会いしたときにこの引用についての話をしたら褒めていただいた。後輩よありがとう。

俺のせいで甲子園に行けなかった

〜あらすじ〜
甲子園行きを決めていた「俺」。だが、彼女をレイプした名門校*5の生徒相手に暴力事件を起こしてしまう。
それは「俺」にとっては「男として当たり前の」行為であったが、新聞種になってしまう。
俺のせいで甲子園にいけなかった。監督や他の選手、親が「だめ人間」のレッテルを「俺」にはりつける……

バッドエンドである。「過去の栄光にすがりついて転落の人生を歩む元高校球児、現ヒモを描いた架空の映画の主題歌」らしい。
アルバムの中でこの曲だけが特撮ヒーローの主題歌っぽさを漂わせている。ギター、シンセ、ホーンの音作りがあざとい。モコモコしたギターソロなんか聴いているだけでノスタルジックな気持ちになる。

おんなの線路標(みちしるべ)

ブスの上京ソング。
この曲には耽美性がない。うつくしさ・壊れやすさ・タブーといったものが欠如している。
器量の悪い女が夜汽車で上京→工場→銀座→吉原。それだけなのだ。 
「『おかあちゃんの若い時に似てる』って言われる度ふるえた」からはじまるBメロは「代理母」中で最大の熱量。
青い梅 揺り落とされて しそにまみれて 赤くなる」というサビの意味が僕にはわからない。なんとなくはわかるんだけど、具体的すぎる面影歌詞群のなかで妙に抽象的なこれが気になる。
追記: 本人にお会いしてこの歌詞について聞くことができた。これは都々逸(!)からの引用で、青い梅 = 若い娘が汚れていく?ようすを比喩的に歌ったものらしい。
このアルバムでいちばん好きな曲かもしれない。
線路標って何のことかわからなかったんだけど、こういうやつのことだろうか。
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必ず同じところで

イントロに家庭内暴力が収録されていて曲がはじまるまで一分ぐらいかかる。途中にも寸劇が挟まれるのだが「愛してるんだよ……お前しかいないんだよ……」というネットリした口調が絶品である。どうして見てきたようにDV男が女に優しくするようすを描けるんだろうか。見てきたのかもしれない。
ライナーノーツいわくこれらの寸劇はL.A.ギャングスタラップに見られる描写の日本的解釈らしい。たしかに歌唱もラップそのものである。
ストーリーとしては、田舎娘が悪い地元の先輩と共に上京し、先輩は悪事でものすごい金を動かすようになる。田舎娘もふつうのOLなんかじゃできない贅沢な生活を味わうが、「必ず同じところで」つまづいてしまう……というもの。
曲中で何度も繰り返される「必ず同じところで」という歌詞がなんだかよくわからない。同じようにズルズルと破滅していく女の類型として、ということなんだろうか。
今更だが面影ラッキーホールは「おんな歌」を特徴としていて、大半の曲は女性目線である。「黒光りしたマッチョがファルセットで切々と女心を歌い上げる(原文ママ)」黒人音楽への強い意識があるらしい。

夜の水たまり

謡曲っぽさは面影ラッキーホールの特徴のひとつだが、これは特に演歌っぽさを感じる。
サビの、aCKyに女性がまとわりつくようなコーラスがくせになる。
ストーリーとしてはどうということはないシャブソング。だが、「暖められたスプーンの上の 小さな夜の水たまりに やつれた顔のふたりが映った」という詞のスケール感のなさ、しょうもなさ、寂しさ、に魅力がつまっている。大詩人である。

金曜日の天使

伝説のヒップホップバンド・ビブラストーンのカバー曲。*6
終電車だって終わっちまっただ もう始発を待つしかないだ」という歌詞がファルセットで繰りかえされる。
「だ」が足されるだけで東京臭い曲の雰囲気が一変するのが日本語の不思議。
サビの動き回るベースラインが強烈な存在感を放っている。ファルセットに分厚さがないので、そのぶんベースが単なるベースラインではなくメロディとして浮き上がってくる。
ジャミロクワイ方式である。*7
もちろんコーラスによっても厚みはカバーされている。こっちは言うなればディアンジェロ方式かな?*8

今夜、巣鴨

〜あらすじ〜
"病気がち"*9のわたくしがおばあちゃんに連れられた巣鴨で粋なおじいちゃんと恋に落ちる。そのうちふたりはおばあちゃん抜きで逢引を重ねるようになり、おじいちゃんはあたしのあそこに白髪の頭を埋める……

イントロからグイグイ煽ってくるギターチューン。Aメロのベタベタで野暮ったい四拍目が聴きどころである。1,2,3,\4!/にピークを持ってくるのがなかなかクセになる。たとえがわかりにくくて恐縮だがSouliveの「Steppin'」のリフみたいな感じ。

Soulive - Steppin' @ Brooklyn Bowl - Bowlive 5 - Night 6 - 3/20/14
歌詞もひどい。が、見かたを変えれば「代理母」で唯一の純愛ソングである。
「お嬢ちゃん 君は夢二の絵のようだね」というおじいちゃんの語りかけが素敵。「あたしのあそこに白髪の頭うずめてる」で台無しになるけど。
余談だが竹久夢二と僕は出身高校が同じ。中退しているのに高校出身者として村上春樹白洲次郎のつぎに名前が挙がるんだから夢二もいい迷惑だと思う。村上春樹もたぶん迷惑している。
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こんな感じの女の子なんだろうか。

たまプラーザ海峡

今は亡き東急新玉川線ご当地ソング。関西人なのでぜんぜんピンときていないが。
バブルはじけてやることといったら自然食と不倫しかない人妻の歌、不毛で不愉快な世界……と彼らは述べているが、曲としてはかなり気合が入っている。
誰が聞いても「刑事ドラマのオープニング」という感想を抱くにちがいないイントロ、ベース・ギター・パーカッションの組み合わせで疾走感のあるAメロ、サビの「ぅぁったっまあ、プゥッラァァ〜ザァァ〜」など、アルバム後半ではいちばんの盛り上がりをみせる。
どの曲でも聴けるが、盛り上がってくると存在しない「ぅ」や「ヒィ」や「ヘェ」が入るのがaCKyの歌唱のいいところ。

ピロウトークタガログ語

新大久保のフィリピン女・アイリーンとピロウトークがしたいがためにタガログ語を覚える歌。
後輩は「出オチ」と評していたけど僕はけっこう好き。何の文脈に乗っているのかわからない音空間や、aCKyの語るような歌と交互に入ってくる女性コーラス(金子マリ)が心地よい。日本広しといえど「タ〜ガログ語〜」というリフレインは前代未聞ではないだろうか。
千人の男と交わった女は そう 天使になれる」という詞が出てくるが、この一行のパワーは圧倒的で、聴くたびに漫画の最終巻みたいな気持ちになる。立ち上がってくる世界観がすごいというか……
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タガログ語でつかう文字。「BA」がかわいいですね。ケツみたいで。

小さなママに

「おんなの線路標」と同じ「あたしあたま弱いから」という歌詞が出てくる。
押しに弱く誰とでも寝てしまうしあたまも弱い女性がママになる歌。破滅的・享楽的な曲が多いこのアルバムの中では珍しく最後まで真剣な曲である。
ギターソロはベーシストのSinner-Yangが「辛いことが在った翌日にわざわざ録りなおした」らしい。ここまで褒めるのを忘れていたがこのバンドのベースはほんとうにすごい。手数で押すわけでもニュアンスで押すわけでもなく、ただただバチッとハマっている。T-マルガリータモーモールルギャバン)と何となくにているなと思った。ギター弾いちゃうのもすごい。

虹色のファンファーレ〜必ず同じところで

このバンドが映画『ブルース・ハープ』(98,三池崇史)に出演したときのライブシーンが収録されている。
ACKYの歌唱になかなか熱が入っている。フレーズもちょいちょい違うところがある。

おわりに

みんな面影ラッキーホールを聴いてくれ〜〜!頼む〜!

余談
  • ホーン隊の名前は「ラブ♡ラブ♡ラッキーホーンズ」
  • CDジャケットがエッチ。ケン月影
  • ボーカルaCKyはこのバンドが人生ではじめて組んだバンドらしい。マジで?(追記: 本人にお会いしたときそうおっしゃっていた。)
  • 「ダメじゃん」といってしまえばそれまでのダメな男と女の東京。でもダメじゃない奴っていったい誰なんだ?」――みうらじゅん
  • 「俺のせいで甲子園に行けなかった」「たまプラーザ海峡」などのクッサい曲はaCKy単独作曲で、sinner-yangが絡んでいない傾向にある。

代理母

代理母

*1:1982 | オリエント工業の歴史

*2:どういう営業形態だったのかはわからないけど、要は壁に穴が空いていてそこにちんちんを突っ込むやつのことでしょう。英語では"Glory-Hole"なのでラッキーホールは和製英語ではないかと思う。壁の向こうに誰がいても(極論男がいても)わからないのでひどいことになりそうである

*3:ここまでの記述は「代理母」に挟まってたライナーノーツによる。これ以降もライナーノーツからはたくさん引用してます。

*4:BREAKERZ「オーバーライト」。コナンをみていたら流れてきたので。

*5:ケンカの名門校

*6:面影ラッキーホールのドラムはビブラストーンと同じ人

*7:JKがフェイクを入れたり語るように歌ったりするので、逆にゼンダーのベースラインが安定したメロディとして機能してしまう。ボーカルの楽器化、ベースのボーカル化。

*8:ディアンジェロはあの体格からは想像できないファルセットを多用するがコーラスの厚みによって細さをカバーしてセクシーな楽曲を作りまくっている

*9:巣鴨の病院といえば昔は精神病院を指した

批評誌「夜航」批評――その1

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経緯

神戸大学国際文化学部のひとが「夜航」という批評誌をつくったのをTwitter(@Yako_Kobe )で知った。
雑誌を創刊するというのは僕にとって憧れの対象だったのでカッコいいことしてるひとたちがいるなあと思った。思っていたところで、実は中の人が後輩の先輩(ややこしい)だったらしく、ぜひ僕に読んでほしいとお声がかかった。元から読む気満々だったので、これによって読む気が満々満々になって、読んだ。

批評誌を批評する

読む前から読み終わったら「『夜航』の批評」を書こうと決めていた。理由は、「批評誌批評」という日本語が面白いから。
だが夜航を読んでいくと、正規の人文教育をうけた国文生はなかなか手強く、工学部でのんきに暮らしていた自分にこれをただしく批評できるのか怪しいなと思いはじめた。これは今もそう思っている。
野良批評家ゆえの至らない部分はご容赦願うとして、とりあえずやってみます。

想像力をもとめた航路へ―国際文化学部への鎮魂歌―

「現代日本人の健忘症・不感症ならびに秀才的な手際よさに抗って見せる為」にこの雑誌は上梓されたという。
ここで言われる「健忘症・不感症」というのは一貫した関心を持ち続けることを厭う気持ちのことである。では「一貫した関心がもてない」対象にはどのようなものが想定されているかというと、それは宗教・イデオロギーなどの「大きくて、自分とは関係ない物語」のことだろうと思う。北朝鮮のミサイル・国際的なテロがそのようなものの実例として挙げられている。では人々は何に関心をもつかというと、身の回りの「小さい物語」に関心を持つのではないか。たとえば学校・バイト・家族関係・友人関係のような。人々はこの点においては、「秀才的な手際よさ」を発揮する。
よって冒頭の宣言は
「現代日本人の<大きな物語に対する>健忘症・不感症ならびに<小さな物語に対する>秀才的な手際よさ」
と読むことができる。

このふたつの物語の乖離は、テクストの中盤以降に述べられている「理論と実践の乖離」そのものである。
分野横断的態度を特徴とする「文化」や、超越的な真理を目指す思想・理論が、悪しき相対主義や企業と結びついた素朴な実践主義にズタズタに切り裂かれる様子は、大きな物語が小さな物語へと崩壊していく過程とみることができる。もちろん大きな物語が無条件によいわけではない*1が、偏りは得てして弊害をうむ。

この分断は「想像力」によって治癒されると書かれている。すべてが相対主義に呑まれていくなかで「意味」の確定にこだわること、生き生きしたかたちで「理論と実践」「思想と政治」*2を媒介することが我々の為すことである、という筆者の意見には賛成できる。しかし、カントを引用した議論にコメントしたいところがある。

……数字や記号によってカミソリ的に世界を分析したり重箱の隅を突くような言語ゲームを展開したりする悪しき理論的態度……

という記述が4pの最終段落にある。これは恣意的な見方だろう。
想像力による分析が「ほんとう」の分析であって、数字を用いた分析は無味乾燥な現実の代用物にすぎない、というのは根拠を欠いている。
「科学的分析は現実を真に反映したものにはなっていない(現実をモデル化したものを分析している)」
という言説を真と認めるとしても、それなら
「『想像』的分析は現実を真に反映したものになっていない(現実をモデル化したものを分析している)」

という言説も同様に成り立っておかしくないだろう。
「ナマの現実」というのは不可触であって、それが科学では分析できないが想像では分析できるというのは誤っていると思う。なぜなら、科学にせよ想像力にせよ言語のフィルターを通すことにかわりないからだ。ラカンがいうように、言語を獲得した我々にとって現実*3とは「不可能なもの」である。ここまで述べたのは現実の分析が不可能だという虚無的な立場の意見ではなく、どんな手段をとるにせよある種のモデル化が入ることを認めなくてはいけないということだ。

また、「言語ゲーム」というのがウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」であるならば*4、それが重箱の隅をつつくようであるという批判はあたらないだろう。日常言語は厳密な性質をもつのではなくゲームにおける機能をもっており、ゲームどうしは緩くつながっているというのが彼の説であって、これは重箱の隅をつつくのとは真逆の方向だろう。

さて、大筋の読解は終わったが、最後に引用されている丸山眞男の言葉がよかったのでここにも引用する。

学問的真理の「無力」さは、北極星の「無力」さに似ている。
北極星は道に迷った旅人に手をさしのべて、導いてはくれない。
しかし北極星はいかなる旅人にも、つねに基本的方角を示すしるしとなる。

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ここにもうひとつ引用を付け加えておこう。

人間にとって、当てもなくさまようことほど辛いことはない。
――ホメロスオデュッセイア」より

特集Ⅰ「国際文化学部」とは何だったのか

これはインタビュー記事なので、批評というか感想文。
まず櫻井徹先生が学部長になっていたのを知らなかったのでそこから驚いた。僕が入学したときは学部長じゃなかった気がする。
前に櫻井先生の教養原論を受けたことがあって、いい先生だなあと思った覚えがあるけど、インタビューの最初のほうを読んでいて納得した。

……僕は法哲学者の中ではかなり融通無碍というか、いわゆる伝統的な法哲学の枠組みをさほど居心地良く思っていない類の研究者……

何十年も研究している自分の専門分野に疑いの目を向けつづけることは難しいだろうし、こういう気持ちを持っているひとは教育者としても研究者としてもスゴいと思う。

で、途中からは国際文化学部が国際人間科学部に移行するにあたって変わるものと変わらないもの、というテーマに話が移る。
僕が特におもしろいと思ったのは、枝葉の部分で申し訳ないが、「国際文化」「グローバル文化」という名前についてのところ。

「国際文化」というのは端的に言って存在しないですよね。

という超然とした発言がすごい。世界的に拡散しつつある文化を「グローバル文化 Global Cultures」と呼ぶことはできるが、「国際文化」が指し示す対象は存在しないという指摘はごもっともで、学部の名称変更も必然的に思えてくる。

カタカナがチャラいという人がいるかもしれませんが(笑)

ごめんなさい!!

次回予告

とうとう本題の批評に入れなかった。次回「決断・虚構・美」を読みます!

*1:ファシズム神権政治など

*2:理論は大きな、実践は小さな物語であるとしたが、そうすると思想は大きな物語で政治は小さな物語であるということになってしまう。だが冒頭の例によると政治は大きな物語であってこれは矛盾する。…と思ったが、僕の論理展開のほうがどこかで間違っているんだろうか。政治は大衆にとっては大きく見えるが学問からしたら小さく見えるというのが問題な気もする

*3:ここでいう現実はカントの「物自体」に近い

*4:ここで使われている「言語ゲーム」が「言葉遊び」の意味であるなら問題はないが、文脈からして誤解を招きやすいと思う。