面影ラッキーホール「代理母」全曲レビュー
はじめに
いまから面影ラッキーホール(現Only Love Hurts)の「代理母」というアルバムをレビューしていくので読んでください。
このアルバムが好きすぎてコピーバンドを敢行した。みんな好きになってくれ〜〜!気合い入れていくぞ〜!
追記: 2018/10/21に偶然aCkyさん(Vo)とお会いした。感激。このブログも読んでもらった。感感激激。
1.好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた
面影ラッキーホール "好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた" @ WWW
一曲目にしてアルバムいちのキラーチューン。度を越して長い曲名と、それをそのままなぞるサビがクセになる。
そもそも面影ラッキーホールはどういうバンドかというと、そのバンド名は医療用ダッチワイフ「面影」*1と、80年代性風俗産業が咲かせた徒花「ラッキーホール」*2から取られ、歌詞はヤンキー、堕胎、駆け落ち、水商売、シャブ、売春、といったあまりにリアルで後ろ向きなもの、音楽的には様々なジャンルを脈絡なくカットアップしつつも黒人音楽の臭いは濃く漂う、という情報過多なバンドである。*3
主要メンバーはボーカルのaCKyとベースのsinner-yang。
さて、この曲の聴きどころはサビである。当たり前のことを言ってしまった気もするが、この曲のよさは「好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた」というメロディーのクサさに尽きる。ボーカルに寄り添うホーンもいい仕事をしている。
その他の部分の歌詞は、単なるリストカットについての述懐にみえて、非常に繊細にかかれている。一回目のAメロと二回目のAメロを見てみよう。
血が出てるのに痛くない
サイレンなんか聴きたくない白い肌にすっと流れる血が赤い
困らせたいだけの幼稚なおしばい傷つけたい弱い自分のコト
来てくれないそうあの男はきっとそうただいじめたい
迎えにはこない
行末のめちゃくちゃ丁寧な押韻と、ただの「病んでる女」ではない細かな心情の表現がいい。
三回目のAメロだけ長さが半分になって「おんぶできない おにもつになるから でもあたし おろしたくない」という歌詞がぽつりとおかれるのもいい。全部いい。
あんなに反対してたお義父さんにビール注がれて
O.L.H.(Only Love Hurts) a.k.a. 面影ラッキーホール「あんなに反対してたお義父さんにビールをつがれて」MV
珍しくMVがある曲。この曲は聴くと泣きそうになってしまうので実はあまり聴いたことがない。
あらすじをいうと、さえない不良(俺)が幼馴染の女の子(みちこ)を孕ませてしまい、みちこの父親に殴られる。ふたりは駆け落ちし、俺は設備屋、みちこはスーパーで働く。ふたりは5年かけて一人前の「父親」「母親」になる。ある日みちこの実家に帰省すると、お義父さんが孫の顔を見て「おじいちゃんだよ おまえのおじいちゃんだよ」と涙を流す……というもの。
面影ラッキーホールの持ち味である過剰なまでの具体性がよく出ている曲。曲の歌詞にはある程度の抽象性があるのがふつうだろう。「青い空 沈む太陽 繰り返し巡る季節」*4みたいな。それに何を当てはめるのかは聴く人の裁量である。
だけど、この曲は何もかもわかっていて想像の余地がない。ふつうとは逆の戦略だがこれはこれで物語としての感動がある。
「今晩誰かの車が来るたび 闇にくるまり」という歌詞は、
「今晩誰かの車が車で来るまで 闇にくるまっているだけ」(アンジェリーナ / 佐野元春)
からの引用らしい。後輩の女の子が教えてくれた。なんで平成2桁生まれなのに佐野元春に詳しいんだ??
追記: 本人にお会いしたときにこの引用についての話をしたら褒めていただいた。後輩よありがとう。
俺のせいで甲子園に行けなかった
〜あらすじ〜
甲子園行きを決めていた「俺」。だが、彼女をレイプした名門校*5の生徒相手に暴力事件を起こしてしまう。
それは「俺」にとっては「男として当たり前の」行為であったが、新聞種になってしまう。
俺のせいで甲子園にいけなかった。監督や他の選手、親が「だめ人間」のレッテルを「俺」にはりつける……
バッドエンドである。「過去の栄光にすがりついて転落の人生を歩む元高校球児、現ヒモを描いた架空の映画の主題歌」らしい。
アルバムの中でこの曲だけが特撮ヒーローの主題歌っぽさを漂わせている。ギター、シンセ、ホーンの音作りがあざとい。モコモコしたギターソロなんか聴いているだけでノスタルジックな気持ちになる。
おんなの線路標(みちしるべ)
ブスの上京ソング。
この曲には耽美性がない。うつくしさ・壊れやすさ・タブーといったものが欠如している。
器量の悪い女が夜汽車で上京→工場→銀座→吉原。それだけなのだ。
「『おかあちゃんの若い時に似てる』って言われる度ふるえた」からはじまるBメロは「代理母」中で最大の熱量。
「青い梅 揺り落とされて しそにまみれて 赤くなる」というサビの意味が僕にはわからない。なんとなくはわかるんだけど、具体的すぎる面影歌詞群のなかで妙に抽象的なこれが気になる。
追記: 本人にお会いしてこの歌詞について聞くことができた。これは都々逸(!)からの引用で、青い梅 = 若い娘が汚れていく?ようすを比喩的に歌ったものらしい。
このアルバムでいちばん好きな曲かもしれない。
線路標って何のことかわからなかったんだけど、こういうやつのことだろうか。
必ず同じところで
イントロに家庭内暴力が収録されていて曲がはじまるまで一分ぐらいかかる。途中にも寸劇が挟まれるのだが「愛してるんだよ……お前しかいないんだよ……」というネットリした口調が絶品である。どうして見てきたようにDV男が女に優しくするようすを描けるんだろうか。見てきたのかもしれない。
ライナーノーツいわくこれらの寸劇はL.A.ギャングスタラップに見られる描写の日本的解釈らしい。たしかに歌唱もラップそのものである。
ストーリーとしては、田舎娘が悪い地元の先輩と共に上京し、先輩は悪事でものすごい金を動かすようになる。田舎娘もふつうのOLなんかじゃできない贅沢な生活を味わうが、「必ず同じところで」つまづいてしまう……というもの。
曲中で何度も繰り返される「必ず同じところで」という歌詞がなんだかよくわからない。同じようにズルズルと破滅していく女の類型として、ということなんだろうか。
今更だが面影ラッキーホールは「おんな歌」を特徴としていて、大半の曲は女性目線である。「黒光りしたマッチョがファルセットで切々と女心を歌い上げる(原文ママ)」黒人音楽への強い意識があるらしい。
夜の水たまり
歌謡曲っぽさは面影ラッキーホールの特徴のひとつだが、これは特に演歌っぽさを感じる。
サビの、aCKyに女性がまとわりつくようなコーラスがくせになる。
ストーリーとしてはどうということはないシャブソング。だが、「暖められたスプーンの上の 小さな夜の水たまりに やつれた顔のふたりが映った」という詞のスケール感のなさ、しょうもなさ、寂しさ、に魅力がつまっている。大詩人である。
金曜日の天使
伝説のヒップホップバンド・ビブラストーンのカバー曲。*6
「終電車だって終わっちまっただ もう始発を待つしかないだ」という歌詞がファルセットで繰りかえされる。
「だ」が足されるだけで東京臭い曲の雰囲気が一変するのが日本語の不思議。
サビの動き回るベースラインが強烈な存在感を放っている。ファルセットに分厚さがないので、そのぶんベースが単なるベースラインではなくメロディとして浮き上がってくる。
ジャミロクワイ方式である。*7
もちろんコーラスによっても厚みはカバーされている。こっちは言うなればディアンジェロ方式かな?*8
今夜、巣鴨で
〜あらすじ〜
"病気がち"*9のわたくしがおばあちゃんに連れられた巣鴨で粋なおじいちゃんと恋に落ちる。そのうちふたりはおばあちゃん抜きで逢引を重ねるようになり、おじいちゃんはあたしのあそこに白髪の頭を埋める……
イントロからグイグイ煽ってくるギターチューン。Aメロのベタベタで野暮ったい四拍目が聴きどころである。1,2,3,\4!/にピークを持ってくるのがなかなかクセになる。たとえがわかりにくくて恐縮だがSouliveの「Steppin'」のリフみたいな感じ。
Soulive - Steppin' @ Brooklyn Bowl - Bowlive 5 - Night 6 - 3/20/14
歌詞もひどい。が、見かたを変えれば「代理母」で唯一の純愛ソングである。
「お嬢ちゃん 君は夢二の絵のようだね」というおじいちゃんの語りかけが素敵。「あたしのあそこに白髪の頭うずめてる」で台無しになるけど。
余談だが竹久夢二と僕は出身高校が同じ。中退しているのに高校出身者として村上春樹と白洲次郎のつぎに名前が挙がるんだから夢二もいい迷惑だと思う。村上春樹もたぶん迷惑している。
こんな感じの女の子なんだろうか。
たまプラーザ海峡
今は亡き東急新玉川線ご当地ソング。関西人なのでぜんぜんピンときていないが。
バブルはじけてやることといったら自然食と不倫しかない人妻の歌、不毛で不愉快な世界……と彼らは述べているが、曲としてはかなり気合が入っている。
誰が聞いても「刑事ドラマのオープニング」という感想を抱くにちがいないイントロ、ベース・ギター・パーカッションの組み合わせで疾走感のあるAメロ、サビの「ぅぁったっまあ、プゥッラァァ〜ザァァ〜」など、アルバム後半ではいちばんの盛り上がりをみせる。
どの曲でも聴けるが、盛り上がってくると存在しない「ぅ」や「ヒィ」や「ヘェ」が入るのがaCKyの歌唱のいいところ。
ピロウトークタガログ語
新大久保のフィリピン女・アイリーンとピロウトークがしたいがためにタガログ語を覚える歌。
後輩は「出オチ」と評していたけど僕はけっこう好き。何の文脈に乗っているのかわからない音空間や、aCKyの語るような歌と交互に入ってくる女性コーラス(金子マリ)が心地よい。日本広しといえど「タ〜ガログ語〜」というリフレインは前代未聞ではないだろうか。
「千人の男と交わった女は そう 天使になれる」という詞が出てくるが、この一行のパワーは圧倒的で、聴くたびに漫画の最終巻みたいな気持ちになる。立ち上がってくる世界観がすごいというか……
タガログ語でつかう文字。「BA」がかわいいですね。ケツみたいで。
小さなママに
「おんなの線路標」と同じ「あたしあたま弱いから」という歌詞が出てくる。
押しに弱く誰とでも寝てしまうしあたまも弱い女性がママになる歌。破滅的・享楽的な曲が多いこのアルバムの中では珍しく最後まで真剣な曲である。
ギターソロはベーシストのSinner-Yangが「辛いことが在った翌日にわざわざ録りなおした」らしい。ここまで褒めるのを忘れていたがこのバンドのベースはほんとうにすごい。手数で押すわけでもニュアンスで押すわけでもなく、ただただバチッとハマっている。T-マルガリータ(モーモールルギャバン)と何となくにているなと思った。ギター弾いちゃうのもすごい。
虹色のファンファーレ〜必ず同じところで
このバンドが映画『ブルース・ハープ』(98,三池崇史)に出演したときのライブシーンが収録されている。
ACKYの歌唱になかなか熱が入っている。フレーズもちょいちょい違うところがある。
おわりに
みんな面影ラッキーホールを聴いてくれ〜〜!頼む〜!
余談
- ホーン隊の名前は「ラブ♡ラブ♡ラッキーホーンズ」
- CDジャケットがエッチ。ケン月影。
- ボーカルaCKyはこのバンドが人生ではじめて組んだバンドらしい。マジで?(追記: 本人にお会いしたときそうおっしゃっていた。)
- 「ダメじゃん」といってしまえばそれまでのダメな男と女の東京。でもダメじゃない奴っていったい誰なんだ?」――みうらじゅん
- 「俺のせいで甲子園に行けなかった」「たまプラーザ海峡」などのクッサい曲はaCKy単独作曲で、sinner-yangが絡んでいない傾向にある。
- アーティスト: 面影ラッキーホール,吉田美奈子
- 出版社/メーカー: 徳間ジャパンコミュニケーションズ
- 発売日: 1998/11/21
- メディア: CD
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*2:どういう営業形態だったのかはわからないけど、要は壁に穴が空いていてそこにちんちんを突っ込むやつのことでしょう。英語では"Glory-Hole"なのでラッキーホールは和製英語ではないかと思う。壁の向こうに誰がいても(極論男がいても)わからないのでひどいことになりそうである
*3:ここまでの記述は「代理母」に挟まってたライナーノーツによる。これ以降もライナーノーツからはたくさん引用してます。
*4:BREAKERZ「オーバーライト」。コナンをみていたら流れてきたので。
*5:ケンカの名門校
*7:JKがフェイクを入れたり語るように歌ったりするので、逆にゼンダーのベースラインが安定したメロディとして機能してしまう。ボーカルの楽器化、ベースのボーカル化。
*8:ディアンジェロはあの体格からは想像できないファルセットを多用するがコーラスの厚みによって細さをカバーしてセクシーな楽曲を作りまくっている