批評誌「夜航」批評――その1

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経緯

神戸大学国際文化学部のひとが「夜航」という批評誌をつくったのをTwitter(@Yako_Kobe )で知った。
雑誌を創刊するというのは僕にとって憧れの対象だったのでカッコいいことしてるひとたちがいるなあと思った。思っていたところで、実は中の人が後輩の先輩(ややこしい)だったらしく、ぜひ僕に読んでほしいとお声がかかった。元から読む気満々だったので、これによって読む気が満々満々になって、読んだ。

批評誌を批評する

読む前から読み終わったら「『夜航』の批評」を書こうと決めていた。理由は、「批評誌批評」という日本語が面白いから。
だが夜航を読んでいくと、正規の人文教育をうけた国文生はなかなか手強く、工学部でのんきに暮らしていた自分にこれをただしく批評できるのか怪しいなと思いはじめた。これは今もそう思っている。
野良批評家ゆえの至らない部分はご容赦願うとして、とりあえずやってみます。

想像力をもとめた航路へ―国際文化学部への鎮魂歌―

「現代日本人の健忘症・不感症ならびに秀才的な手際よさに抗って見せる為」にこの雑誌は上梓されたという。
ここで言われる「健忘症・不感症」というのは一貫した関心を持ち続けることを厭う気持ちのことである。では「一貫した関心がもてない」対象にはどのようなものが想定されているかというと、それは宗教・イデオロギーなどの「大きくて、自分とは関係ない物語」のことだろうと思う。北朝鮮のミサイル・国際的なテロがそのようなものの実例として挙げられている。では人々は何に関心をもつかというと、身の回りの「小さい物語」に関心を持つのではないか。たとえば学校・バイト・家族関係・友人関係のような。人々はこの点においては、「秀才的な手際よさ」を発揮する。
よって冒頭の宣言は
「現代日本人の<大きな物語に対する>健忘症・不感症ならびに<小さな物語に対する>秀才的な手際よさ」
と読むことができる。

このふたつの物語の乖離は、テクストの中盤以降に述べられている「理論と実践の乖離」そのものである。
分野横断的態度を特徴とする「文化」や、超越的な真理を目指す思想・理論が、悪しき相対主義や企業と結びついた素朴な実践主義にズタズタに切り裂かれる様子は、大きな物語が小さな物語へと崩壊していく過程とみることができる。もちろん大きな物語が無条件によいわけではない*1が、偏りは得てして弊害をうむ。

この分断は「想像力」によって治癒されると書かれている。すべてが相対主義に呑まれていくなかで「意味」の確定にこだわること、生き生きしたかたちで「理論と実践」「思想と政治」*2を媒介することが我々の為すことである、という筆者の意見には賛成できる。しかし、カントを引用した議論にコメントしたいところがある。

……数字や記号によってカミソリ的に世界を分析したり重箱の隅を突くような言語ゲームを展開したりする悪しき理論的態度……

という記述が4pの最終段落にある。これは恣意的な見方だろう。
想像力による分析が「ほんとう」の分析であって、数字を用いた分析は無味乾燥な現実の代用物にすぎない、というのは根拠を欠いている。
「科学的分析は現実を真に反映したものにはなっていない(現実をモデル化したものを分析している)」
という言説を真と認めるとしても、それなら
「『想像』的分析は現実を真に反映したものになっていない(現実をモデル化したものを分析している)」

という言説も同様に成り立っておかしくないだろう。
「ナマの現実」というのは不可触であって、それが科学では分析できないが想像では分析できるというのは誤っていると思う。なぜなら、科学にせよ想像力にせよ言語のフィルターを通すことにかわりないからだ。ラカンがいうように、言語を獲得した我々にとって現実*3とは「不可能なもの」である。ここまで述べたのは現実の分析が不可能だという虚無的な立場の意見ではなく、どんな手段をとるにせよある種のモデル化が入ることを認めなくてはいけないということだ。

また、「言語ゲーム」というのがウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」であるならば*4、それが重箱の隅をつつくようであるという批判はあたらないだろう。日常言語は厳密な性質をもつのではなくゲームにおける機能をもっており、ゲームどうしは緩くつながっているというのが彼の説であって、これは重箱の隅をつつくのとは真逆の方向だろう。

さて、大筋の読解は終わったが、最後に引用されている丸山眞男の言葉がよかったのでここにも引用する。

学問的真理の「無力」さは、北極星の「無力」さに似ている。
北極星は道に迷った旅人に手をさしのべて、導いてはくれない。
しかし北極星はいかなる旅人にも、つねに基本的方角を示すしるしとなる。

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ここにもうひとつ引用を付け加えておこう。

人間にとって、当てもなくさまようことほど辛いことはない。
――ホメロスオデュッセイア」より

特集Ⅰ「国際文化学部」とは何だったのか

これはインタビュー記事なので、批評というか感想文。
まず櫻井徹先生が学部長になっていたのを知らなかったのでそこから驚いた。僕が入学したときは学部長じゃなかった気がする。
前に櫻井先生の教養原論を受けたことがあって、いい先生だなあと思った覚えがあるけど、インタビューの最初のほうを読んでいて納得した。

……僕は法哲学者の中ではかなり融通無碍というか、いわゆる伝統的な法哲学の枠組みをさほど居心地良く思っていない類の研究者……

何十年も研究している自分の専門分野に疑いの目を向けつづけることは難しいだろうし、こういう気持ちを持っているひとは教育者としても研究者としてもスゴいと思う。

で、途中からは国際文化学部が国際人間科学部に移行するにあたって変わるものと変わらないもの、というテーマに話が移る。
僕が特におもしろいと思ったのは、枝葉の部分で申し訳ないが、「国際文化」「グローバル文化」という名前についてのところ。

「国際文化」というのは端的に言って存在しないですよね。

という超然とした発言がすごい。世界的に拡散しつつある文化を「グローバル文化 Global Cultures」と呼ぶことはできるが、「国際文化」が指し示す対象は存在しないという指摘はごもっともで、学部の名称変更も必然的に思えてくる。

カタカナがチャラいという人がいるかもしれませんが(笑)

ごめんなさい!!

次回予告

とうとう本題の批評に入れなかった。次回「決断・虚構・美」を読みます!

*1:ファシズム神権政治など

*2:理論は大きな、実践は小さな物語であるとしたが、そうすると思想は大きな物語で政治は小さな物語であるということになってしまう。だが冒頭の例によると政治は大きな物語であってこれは矛盾する。…と思ったが、僕の論理展開のほうがどこかで間違っているんだろうか。政治は大衆にとっては大きく見えるが学問からしたら小さく見えるというのが問題な気もする

*3:ここでいう現実はカントの「物自体」に近い

*4:ここで使われている「言語ゲーム」が「言葉遊び」の意味であるなら問題はないが、文脈からして誤解を招きやすいと思う。

4.63%の確率で性器を露出するドラえもん

「5%の確率で性器を露出するドラえもんbot、もちろん知ってますよね。
Twitterの極北を征く者。


彼に対してこのようなリプライが寄せられていた。


なんで性器の露出回数をカウントしているのかはわかりませんが、「299回の性器露出で確率は4.63%」が事実だとしたらえらいことですよね。ちんぽの配給に不正があったということですから。ちんぽの横領が発生しているのかもしれません。このままでは政治的問題にも発展しかねない。

しかし一方で、「性器の露出には偏りがあるはずだから、いつ計測しても5%になるとは限らないんじゃないか?」という冷静な意見もあることでしょう。
コイントスはいつも「表、裏、表、裏、…」になるわけではなく、「裏、裏、表、裏、表、表、表、裏、…」のようになる方が自然。
しかし確率でいうと表と裏は半分ずつ出るはずで、ちんぽも後者のように偏っているのではないか……ということです。

では、確率4.63%が妥当なのか検討してみましょう。

母平均の推定

記事をかいている間に300回目の露出があり、キリがいいのでそのデータをつかいます。

  • 総ツイート:6460回
  • 露出:300回

露出確率は4.64%

これが標本です。
ここで、彼の各ツイートを「露出していないときは0、露出したら1」が立つ数列におきかえて、標本平均と不偏分散を求めます。*1
こんな感じでやっていくのでコーヒーでも飲んでしばらく待っててください。

標本平均
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不偏分散
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ふたつの値がわかったのでここから母平均を推定する。t分布をつかっても正規分布をつかっても変わらないと思うが、正規分布を用いる。
母平均の95%信頼区間は、
下限
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上限
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つまり露出確率は4.1%から5.1%の間に収まっていると推定される。*2
公表されている露出確率5%はありうることがわかる。

結論

ドラえもんはちゃんとちんぽ出してる。

*1:統計屋に見られたら怒られそう。間違ってたら教えてください

*2:書き終わってから気づいたけど「母平均」という言葉と「露出確率」という言葉がいれかわって読みにくいですね。すいません

ウサイン・ボルトと原付を接続したら

「幻肢」を知っているだろうか。
手足を切断されてしまったひとが、ないはずの手足の存在をそこに感じるという症状である。
まぼろしの手足が痛む「幻肢痛」という症状も有名だ。切断されてしまった足の爪が肉にくいこんで痛むという患者もいるという。
ウサインボルトと原付を接続するのはもうちょっと後になるのでしばらく待っていただきたい。ボルトのところだけ読みたいひとはサーっと飛ばしてください。
さて、幻肢の実例をみてみよう。
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ある水夫の話と、さかさめがねの話

ある水夫が、ふとしたことから右手の人さし指を切り落してしまった。
そのあと四十年間、彼はその指のファントムに悩まされた。むかし切り落した瞬間にそうであったように、いつまでも硬直してぴんと伸びたままである。
右手を顔の方に近づける時はいつも――たとえば、ものを食べる時とか鼻がかゆい時とか――この指が目にずぶりと刺さらないかと心配だった。
(ありえないことだとわかっていても、そういう感じはどうしようもないのだった。)
そのうちに彼は糖尿病性末梢神経障害にかかり、指があるという感覚さえも失われてしまった。
すると例の指のファントムもまた消えてしまった。
*2

おもしろい例。彼の脳は、指があったころの身体イメージをもったままで停止しているのだろう。
もう一例。こちらは幻肢とはちょっとちがう話。
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被験者に、「さかさめがね」をかけながら生活してもらう。さかさめがねとは、視界が上下逆転してみえるようなめがねのことである。
ものの見える位置と実際の位置がくいちがうので、はじめはひどい酔いや吐き気を感じる。
しかし、数週間すると、世界はふたたび正立して見えだす。

人間の脳が、視界の上下逆転にも対応できるようなやわらかさを持っていることを示す実験である。*3

そして接続されるボルトと原付

後輩と、ボルトの上半身と下半身を切断して原付とつなぐ話をしていた。*4
古典落語「胴切り」みたいに、上半身は上半身、下半身は下半身で元気にうごいている。下半身は楽しそうに100mを9秒58で走っているが、かわいそうなのは上半身である。まぼろしの両足が腰から生えている感覚だけはありながら、どうにもしようがない。*5大好きなコールオブデューティーでもやって暇をつぶすしかないだろう。

そこで我々は原付のサドル部分にボルトの上半身を移植することにした。大手術である。
麻酔からさめたボルトは奇妙な二重感覚をおぼえるだろう。自分の脚の幽霊が存在する場所に、ホンダ・スーパーカブのボディがかさなって鎮座しているのだから無理もない。
車輪ふたつじゃ立っていられないんじゃないかとか、もっといいバイクと繋いでやれとか、上半身をサドルに埋め込んだらウンコはどうするんだとか様々な苦情があると思うが、そんなことはどうでもよろしい。ボルトはアイドルだからウンコしない。スーパーカブは世界最高のバイクだ。
はじめは困惑顔だったボルトも、一週間も下半身を走らせていればだんだん慣れてくるだろう。人間が車を運転するときに車幅感覚というのがある。自分の手や足の位置を感覚としてなんとなく把握できるように、車の縦や横の幅がどのくらいなのか、ボディ・イメージとしてわかるようになっていく。
それを極めたような感覚をボルトは持つようになるはずだ。陸上界の怪物は、車幅感覚界の怪物へと転身を遂げた。縦列駐車もドリフトもらくらくである。

それから数ヶ月。
こうして第二の生を謳歌しはじめたボルトには申し訳ないが、そろそろ上半身と下半身をつなぎなおさなくてはいけない。
あまりにも長い間上半身と下半身を引き離しておくと魂が分裂して成仏できなくなるのである。エジプトの死者の書にも書いてある。
一度はつながれたボルトとカブのボディを外科的に切り離す。上半身と下半身の結合手術がはじまるまで、ボルトの上半身はしばし手術台におきっぱなしにされる。
僕が興味をもっているのは、この時ボルトがどのような幻肢を感じるのかということだ。
カブのかたちをした幻肢を感じて、あまつさえエンジン部分に幻肢痛を感じたりするのだろうか。もはやそれに「幻肢」という名前をあたえることは適当ではないが。
人ならざるボディイメージを獲得した男がふたたび人間の身体に戻ったとき、何を感じるのだろう。
通常の幻肢でさえ常人には想像しにくいのに、ボルトはそれよりもはるか遠くへいってしまった。世界最速の男である。

あとがき

ボルト選手とジャマイカのみなさんごめんなさい!

*1:「<意識>とは何だろうか」下條信輔 より。もう一個の画像もそうです

*2:「妻と帽子をまちがえた男」O.サックス より。下線などは自分

*3:そもそも人間の網膜に届く像は上下逆転しているので、さかさめがねをかけて生まれてきたようなもの。そう考えると再度の上下逆転に適応できることはそんなに不思議ではない

*4:40kmで走る原付に40kmで走るボルトがぴったり追いついたら何が起きるの?というのは、左利きベースを右持ちする某人がいいはじめた話らしいんだけど、合体させたのは我々

*5:この時下半身はまぼろしの上半身を感じているのだろうか。重大な問題

サマー・コンプレックス

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夏は爽やかであると同時に憂鬱だ。
海水浴、神社のお祭り、花火大会、流しそうめん、美人の幼馴染み*1
たくさんのイベントがあるが、すべてを満足にこなすことはできない。うだるような暑さも、憂鬱に拍車をかける。
作家の三秋縋は、この感情を「サマー・コンプレック*2」とよんだ。


正しい夏を過ごせなかったこと、つまりイベントをこなすことができなかった後悔が「サマーコンプレックス」と呼ばれているわけだが、それだけでいいのだろうか。
もうすこし別の角度から、サマーコンプレックスについて語ってみたい。

後悔としてのサマーコンプレック

われわれは「正しい夏をすごしたことがないから」憂鬱なのだ。自分の過去のある地点に「正しい夏」が存在していなければいけなかったのに、それがないから憂鬱になる。
この場合いわれている「正しい夏」というのは、「あの時こうしていれば実現できたのでは……」というたぐいのものではなかろうか。
「あの子を誘っていれば……」とか、「海に行く計画をたてていれば……」とか、そういう後悔が凝り固まってサマーコンプレックスを形成するわけだ。

しかし、僕が感じているサマーコンプレックスはそれとは少しちがう。*3
あの時こうしていれば実現できたのに、というレベルの夏ではなく、まったくたどりつけそうもない夏にあこがれてしまう。

夏についての妄想

しばらく妄想をのべていくのでナンバガの透明少女でも聴きながら読んでください。
「軋轢は加速して風景 記憶・妄想に変わる」というやつですねこれが!

NUMBER GIRL - 透明少女

正しい夏というのはまずさびれた港町に帰省するところからはじまらなくてはいけない。*4
天気は晴れで、入道雲がにょきにょき伸びている。防波堤のコンクリートに腰かけて、凪いだ海をながめる。
祖父母の家は一面畳で、ふすまで仕切られた昔ながらの日本家屋である。もちろん縁側もある。
縁側でそうめんを食べたり将棋を指したりする。蝉の鳴き声、潮と植物の匂い。ひたいを流れる汗。すべてが他人事のように思える一連の感覚。
……畳の部屋でごろごろしていると、海で泳がないかと誘われる。そんなつもりじゃなかったけど、案外楽しい。
夜になると神社で祭りがはじまる。金魚すくい、かき氷、線香花火。太鼓の音。
夏が終わっていくことにあせりを感じながら、愉快な気分でもある。

あまりに日本的な

お付き合いいただいてありがとうございました。ぜんぶ妄想です。

前世はこういう夏をすごしていたんじゃないかと思うぐらい、確固たる「正しい夏」のイメージがある。しかも、「頑張ったら実現できてたんじゃない?」というものではなく、まったく可能性のない夏。
僕以外にも、こういう夏のイデアみたいなものを抱いてるひとってけっこういるのではないかと思う。
後悔ではなく、ひたすら実在しないイメージを追い求めるのもひとつのサマーコンプレックスではないか。
そのイメージが、「日本の夏」であることは重要だという気がする。ハワイやグアムを想像しても、いたたまれないような気持ちになることはない。
サンフランシスコのゴールデンゲートパークから海をみたことがあるけど、あまりに広すぎて感傷とか諦念にひたる余裕もなかった。サマーコンプレックスは日本的な感情なのかもしれない。

補足:天国ではみんなが海の話をする

ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアという映画を思い出した。末期病棟の患者、マーチンとルディが主人公で、ルディは生まれてこのかた海をみたことがない。
マーチンは、海をみたことがなけりゃ天国でのけ者にされるぜ、といい、美しい海のイメージを語りだす。
夕陽と海が溶け合う瞬間。

……と、ここまで書いてこれは夏の映画ではなくて海の映画だということに気づいた。まあ、天国にも夏の話をしている人ぐらいいるでしょう。
よくまとまった映画なのでぜひ!

*1:実在するのかな?

*2:コンプレックスといわれてマイナスイメージを抱く人も多いと思うけど、コンプレックスって単に「複合体」というぐらいの意味しかない。専門用語の「コンプレックス」が人口に膾炙したときに誤って受けとられたんじゃないかという気がする。小姑みたいな脚注書いてごめんなさい!

*3:申し遅れたが、サマーコンプレックスを感じるからこそこんな記事を書いています。

*4:僕は湘南っていう人口の半分がサーファーで残りがラッパーという街で子供時代を過ごしていたので、この時点でカンペキな妄想です。

秘密結社と自己啓発セミナー

フリーメーソン、ご存知ですよね。特権的な*1石工たちの同業組合からはじまって、だんだん思想的・友愛的な団体に変化していったという背景をもつフリーメーソンですが、それはさておいて、世界一有名な秘密結社ではないでしょうか。なまじ有名なばかりに、地球温暖化から東西冷戦まで、あらゆる陰謀の首謀者にされるというたいへんな役目を背負っています。帝王に逃走はないのだ。
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おなじみのマーク。セルジュ・ユタンはこれについて次のように述べている。

直角定規は物質に対する人間の作用と混沌の組織化の象徴である。これに対してコンパスは相対的なものの象徴である。すなわちそれは人智の到達することのできる最大の領域を測定するものである。またコンパスは宇宙のあらゆる表示の端緒である一点から生ずる二つの原理(コンパスの脚によって表示される)の象徴であることも注意すべきである。*2

世界とか加入者を測定して、それを変容させる技術を象徴しているということでしょうか。元が粗石を削って建物をたてる人たちの集団なので、象徴もいきおいこういうのが多くなるようですね。

入社式

現代ではどうなのか知りませんが、初期のメーソンは正統な秘密結社です。しかし結社の存在が秘密にされているということではなく秘密的な入社式をもつという意味で秘密結社なのです。
たとえばフリーメーソンの入社儀式のひとつを見てみましょう。

……入社希望の新人は、「反省の部屋」にいれられる。
部屋の内部は真っ黒に塗られていて、テーブルと椅子が一組、インク壺ひとつ、水差し一個、パン、硫黄と塩の入った盃がふたつあり、壁には鎌、砂時計、雄鶏(!)などがかかっている。新加入者はここで自己自身を深く振りかえる。
そして持っている金属物をすべてはぎとられ、左胸部と右脚を裸にされる。左の靴を脱がされ、首の周りにスカーフのようなものを結びつけられる。……

わたしたちはこの儀式の手順を知っているわけだから、この入社式は秘密的でもなんでもないと思いたくなります。
しかし、実際のところは違うのだとメーソンの幹部はいいます。
曰く、

門外者はフリーメーソン儀礼を仔細にわたって知りつくしているが、<<フリーメーソンの秘密>>は今まで一度も見抜かれたことはないし、また見抜かれることはできない

と。
つまり、この儀式において本質的なのは入社者が内面的に変化することであって、それが部外者にはわからない秘密なのだということです。
儀式の前後において入社者は一度死んでふたたび再生し、不可逆な心理的変化を被ります。ひとたび秘密を知ってしまったが最後、あとには戻れません。
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自己啓発セミナー

ここまで世界史の教科書みたいな文章で進めてきたのにいきなり俗っぽいところに話をもどしますが、これとよく似た手口だなと思うのが自己啓発セミナー
自己啓発セミナーは、ビルの一室に集められたり合宿をしたりと形式はさまざまですが、ともかくトレーナーの指示にしたがって「本当の自分を見つけ」「可能性を開き」「自己の殻を打ち破る」セミナーのこと。要は洗脳して多額のお金を取る商法です。最近は下火になってきましたが、バブル前後にはなかなかはやっていたようです。
そしてこれが、めちゃめちゃ効く。どんな内容のセミナーなのかわかった上で行ってもコロッと人格改造されてしまうらしいです。

プログラムはどんな業者でもだいたい同じで、否定→救済の繰り返し。*3
たとえば、

20〜50人の合宿。
1.ネガティブ・フィードバック
グループを組んで、メンバーの悪いところを容赦なく指摘する。はっきり言えない人はトレーナーに徹底的に罵倒される。
この段階で泣き出す人も多い。自己否定のはじまり。

2.ボートの実習
全員が床にすわり、船が難破した場面をイメージ。5人乗りの救命ボートが一艘だけあって、それに乗らねば助からないことを告げられる。
(部屋は薄暗く、波の音がBGMとして流れ、集団催眠におちいる。)
全員が「助かりたい!」「生きたい!」と腹の底から叫ばされる。
その後、メンバーの中で生き残ってほしい人を5人きめる。その5人に入れなかったものは”死亡”し、生き残る5人に(いちばん大切な人への)メッセージを託す。

3.ダンス
トレーナーが「おや、光が見えます。ここは病院のベットの上です。あなたは奇跡的に助かったのです!」と言う。部屋が明るくなる。
全員が抱き合って感動をわかちあう(集団催眠にかかっているので)。
大音量で音楽がかかり、トレーナーの「さあ踊って!」という合図とともに、会場がディスコと化す。全員が感動のあまり踊り狂う。
*4

……文章で手順を説明されただけでは子供だましという感じですが、この儀式の参加者にとってはすべてが真実です。
秘密結社の入社式と同じで、
「儀式の前後において入社者は"一度死んでふたたび再生し"、"不可逆な心理的変化"を被ります。ひとたび"秘密"を知ってしまったが最後、後には戻れません。」
ということですね。
秘密結社的な思想が死に絶えることは永遠にないのでしょう。

錬金術 (文庫クセジュ)

錬金術 (文庫クセジュ)

*1:Freemasonryとは「義務を免除された石工」のこと。教会建築に携わることで特権をあたえられていた

*2:「秘密結社」(セルジュ・ユタン)より。他もだいたいそうです

*3:ここが秘密結社の入社式の「死んでふたたび再生し」と対応するわけです。老婆心ながら

*4:人格改造マニュアル」(鶴見済)より

座頭市(北野武・2003)

もう十数年前の映画になるけど、きのう北野武の「座頭市」を見ました。
タップダンスのイメージが強かったけど、ダンスのシーン自体は短くてひたすら市(演:北野武)の最強っぷりを楽しむ映画でした。
蓮實重彦が「市は江戸時代にまぎれこんだ金髪の宇宙人だ!」と言っていたがなかなか的を射た表現じゃないかと思います。オイラは最強だから石灯籠だって真っ二つにできるんですよね。市の最強さがによって保証されているというのも蓮實先生の指摘通りだと思います。殺陣のときの効果音はうまく働いてるし、農民の鍬がBGMと同調してるシーンなども映画全体の現実離れした雰囲気を象徴していていい。
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※画像はイメージです

あらすじ

盲目の剣客であり按摩さんに扮している市、凄腕の浪人とその妻、仇敵を追っている姉妹が、やくざの銀蔵一家が支配する街にながれつく。
浪人は妻の薬代のために銀蔵の用心棒になる。市と浪人は街で出会い、互いの腕を見抜く。
市がイカサマをした博打の胴元を切りまくったり、浪人が船八一家を全滅させたりしてるあいだに、姉妹の敵は銀蔵だと判明し、事態はタップダンスへと収束していく……

いくつかのシーン

市(たけし) vs 浪人(浅野忠信

この映画の浅野忠信、めちゃめちゃ強い。数えてないけどたけしよりたくさん殺してるんじゃないか?
そんな浅野忠信とたけしの最後の戦いがとてもカッコいいんですが、序盤にわかりやすい伏線があります。
街の飲み屋で2人が斬り合いになりかけたときに、たけしが
こんな狭いところで刀そんなふうに掴んじゃダメだよ
と言うんですね。至近距離の戦いだったので、ふつうに抜くよりたけしの逆手持ちのほうが速く抜けるということのようです。

そして最後の戦い。
浅野忠信負けず嫌いかつ物覚えがいい*1ので、最終決戦でもこれをしっかり覚えています。
刀を抜いて待ってりゃいいのに、あのときの雪辱をはらすべくわざわざ至近距離の居合戦に持ち込みます。ひろーい砂浜なのに。
そして浅野忠信は逆手持ちにした自分がたけしの一撃をうけとめてからバッサリ切り捨てるイメージを頭に思い描きます。妄想大展開!勝った!
と思いきや、順手に持ち替えたたけしに斬られてしまう。野外でもあのアドバイスが通用するとは限らないのだ……

という流れ。わかりやすい伏線をはって、それを回収するだけなんですけど、わかってても笑っちゃうコントみたいな良さがある。浅野忠信のガンコさもちょっとおもしろいのかもしれない。極限の殺人状態は笑いに近いですね。

妻の死

さきほどの戦いの裏で、浅野忠信の妻がひっそりと切腹します。
この切腹、特に映画内で明かされるような理由はないんですけど、その意味の無さがいい。
市は強い。なぜなら市は強いからだ」というトートロジーが支配するこの座頭市ワールドで、「妻は死ぬ。なぜなら妻は死ぬからだ*2という裏のメッセージ?みたいなのをスッと呈示できるところに監督の鋭さを感じます。

けっきょく市の目は見えていたのか

くちなわの頭を斬るところで、市が急に目をひらきますね。
その後も、目が開いてたって見えてるとは限らねえんだけどな、みたいなことをぼやき、結局のところ見えてるのか見えてないのかわからないまま映画は幕を閉じます。
僕の所感としては、これはタランティーノの「イングロリアス・バスターズ」でヒトラー撃ち殺しちゃうみたいなものなのかなあと思いました。監督が「リメイクするんだったら目を開くぐらいのインパクトがあっていい」と思っただけなんじゃないか?と。あまり深く考えてないんじゃないかこれは。
まあ、一応考えられるふたつのパターンを検討してみたいと思います。

  • 目は見えていて、盲目のふりをしているだけだった

ずっと目を閉じとくのはめんどくさい。そもそも、目が見えてないほうがいろんなものが見えてるんだよ〜というメッセージがぶれる。舐めプに負けた浅野忠信かわいそう。あえて目をとじることによるテーマ性はある。etc......

  • 目は見えていなかったが、くちなわの頭にハッタリをかました

目が白く濁っていたのでその可能性はある。ハッタリの隙に斬るのは作戦としておもしろい。最後のぼやきも、まぶたがあけられるからって目が見えてるとは限らないんだけどな〜という意味として通る。


見えてない→見えてるふり→見えてない という二段オチが妥当なんじゃないかと思うけど、どうなんでしょうか!

座頭市 <北野武監督作品> [DVD]

座頭市 <北野武監督作品> [DVD]

*1:仕官時代に浪人にボコボコにされたお礼参りにしっかり行くぐらい

*2:浪人が死んだから妻もいっしょに死ぬんじゃないの?という指摘もあるかと思うけど、それだって大した理由にはなってないですよね。だって浪人が市に勝って帰ってくるかもしれないんだし

タイタニックに乗ったときの生還確率

はじめに

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タイタニックの沈没、世界でいちばん有名な海難事故といっていいんじゃないでしょうか。都市伝説も多いですよね。実は船がすりかえられてたんじゃないかとか。機会がなくて映画はみたことがないんですけど、母がよく「あれは恋愛ものじゃなくてホラーだ」と言っているのでホラー映画なんだと思います。みたことないけど。

で、そのタイタニックの乗員のデータ、つまり

「名前、客室の等級、性別、年齢、一緒に乗っていた兄弟と配偶者の人数、一緒に乗っていた親と子供の人数、支払った運賃、どの港から乗ったか、生還したか、etc」


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で手に入ることがわかったので、いろいろ解析してみようと思います。ヴァンタービルト大学ありがとう。*1
で、データをいじってみて「タイタニックに乗ったときの生還確率をもとめる計算式」を作り出すことを目標にします。
計算式だけがみたい人は結論のところまで飛ばそう!

解析

統計解析にはR言語を使います。

子供かどうかを付けくわえる

Rstudioで生データを見てみるとこんな感じ。
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大人か子供かのデータがないので、12歳以下を子供として「子供かどうか?」の項目isChildを元々のデータに追加する。
Rの使いかたがよくわかってないのでここはEXCELをつかう。いきなり雰囲気が所帯じみてきた。

=IF((セル) = "","",IF((セル)<=12,1,0))

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年齢が空欄の人がいるので処理がガチャガチャしてるけど、とりあえずできました。
あとの方で必要になったので、同じようにして、男性か女性かを1,0で表すisMaleという項目も追加しました。行き当たりばったり

それぞれのデータをみていく

生存率と男女比
setwd('/Users/***/Documents/R/Titanic')
data <- read.csv("titanic3.csv")

survivor <- sum(data$survived)
dead <- nrow(data) - survivor
bars <- c(survivor,dead)
deadper <- round((dead/(survivor+dead))*100,digits = 1)
deadper <- paste(as.character(deadper),"% Died")

male <- sum(data$sex == "male")
female <- sum(data$sex == "female") 

sex = c(male,female)

barplot(bars,names.arg = c("survived","dead"),col = c("blue","red"),main = deadper)
barplot(sex,names.arg = c("male","female"),col = c("blue","red"),main = "sex",ylim = c(0,1000))

ディレクトリ名で本名が見えちゃってたのでそこだけ***に変えました。
setwdをしないとcsvが読み込めなかったり、sumに空白を読ませてしまうと上手く動作しなかったりなど問題はあったがとりあえずできた。
f:id:silver801:20161208112547p:plain
90%ぐらい亡くなったような気持ちでいたが死亡率は61.8%。意外と低いとか思ってしまった。もちろんそんなことはないんだけど。
男女比はこんな感じ。
f:id:silver801:20161208114054p:plain

年齢と運賃

年齢と運賃は大事そうなデータですね。高い料金を払っている客や子供は優先的に避難できそうな気がします。
運賃について補足すると、タイタニックの客室は一等客室から三等客室にわかれています。しかし料金は三種類ではなくて、各等級のなかでさらに細かく段階があります。オプションが細かいのかもしれません。ここらへんは詳しい人にお聞きしたい。
では、まず年齢のヒストグラムから。

age <- data$age
h <- hist(age)

f:id:silver801:20161208115454p:plain
横軸は5歳刻み。豪華客船というと壮年の金持ちが乗っているイメージですが、意外と若者が多いんですね。
次は運賃。

fare <-data$fare
f <-hist(fare,breaks = "FD")

f:id:silver801:20161208124323p:plain
運賃の単位はポンド。正確さは保証できませんがインターネットの情報によると、当時の3ポンドが現在の350ドルにあたるらしいです。
5−10ポンドを払って乗船している人がおおいので、10万円ぐらい払っている客がいちばん多かったということでしょうか。飛行機がないことを考えるとまあまあ良心的なのでは?
あと、見にくくて恐縮ですがヒストグラムの右端に500ポンドぐらい払ってるとんでもない方々がいますね。この三人は有名な富豪らしいです。
500ポンドというと現在の貨幣価値でいうと600万円ぐらいになるのかな?時代が違うとはいえすごい。ちなみに500ポンド払った人たちは全員助かってます。リッチマンズワールド。

重回帰分析

じゃあ、さっそく重回帰分析*2をつかって生還確率の計算式を求めていきます。
変数としては
isMale:男かどうか?
pclass:客室の等級は?
age:年齢は?
をつかってみます。いろいろ試したらこれがいちばんマシな結果だった。
コードは2行で済みます。イルマティックな言語だなあ。

dat.lm <- lm(dat$survived ~ isMale+pclass+age,data = dat)
summary(dat.lm)

summaryを表示するとこんな感じ。

Residuals:
     Min       1Q   Median       3Q      Max 
-1.08309 -0.25801 -0.08043  0.21930  0.99758 

Coefficients:
              Estimate Std. Error t value Pr(>|t|)    
(Intercept)  1.2762817  0.0540773   23.60  < 2e-16 ***
age         -0.0052002  0.0009285   -5.60 2.73e-08 ***
pclass      -0.1827877  0.0160407  -11.39  < 2e-16 ***
isMale      -0.4914873  0.0255501  -19.24  < 2e-16 ***
---
Signif. codes:  0 ‘***’ 0.001 ‘**’ 0.01 ‘*’ 0.05 ‘.’ 0.1 ‘ ’ 1

Residual standard error: 0.3913 on 1042 degrees of freedom
  (263 observations deleted due to missingness)
Multiple R-squared:  0.3686,	Adjusted R-squared:  0.3668 
F-statistic: 202.8 on 3 and 1042 DF,  p-value: < 2.2e-16

何がなんだかわからないと思いますが僕もよくわかりません。
Coefficientsというのが係数で、これは大事。age、pclass、isMaleというパラメータに対してこの係数をかけるわけですね。たとえばageの係数はだいたい-0.001なので、年齢が1歳あがるごとに生存率が0.001さがると仮定していることになります。
あとR-squaredというのも大事。これが1に近いほど回帰式が確かだということになります。
0.3686というのはぜんぜん良くないですね。業界用語でいうと”弱い相関”と言うらしい。
まあ、統計的有意ではあるのでよしとしましょう。よし。

結論

生存率 = -0.0052002×年齢 + (-0.1827877)×客室の等級 + (-0.4914873)×男かどうか + 1.2762817
「客室の等級」は一等客室から三等客室までなので1~3のどれかの数字、「男かどうか」には男性なら1、女性なら0が入ります。
いちおう計算フォームを用意してみたので、「年齢→客室の等級→男かどうか」の順に入力すると結果がわかります。
1に近いほど生存率が高いことになります。


×(-0.0052002)+×(-0.1827877)+×(-0.4914873)+1.2762817



ガバガバの分析だったのでもうちょっといろいろ勉強したいなあと思った。
お付き合いいただきありがとうございました!

*1:統計界では定番の練習問題らしくて、みんなやってるので参考URLはたくさんあるんですが、特にこの記事を参考にしました [Python]Pandasでタイタニック号の乗客データを解析する - Qiita

*2:生存確率=a*年齢+b*客室の等級+....みたいな感じの計算式を考えて、その係数a,b,...をもとめるという手法。正直よくわかってない。