ウサイン・ボルトと原付を接続したら
「幻肢」を知っているだろうか。
手足を切断されてしまったひとが、ないはずの手足の存在をそこに感じるという症状である。
まぼろしの手足が痛む「幻肢痛」という症状も有名だ。切断されてしまった足の爪が肉にくいこんで痛むという患者もいるという。
ウサインボルトと原付を接続するのはもうちょっと後になるのでしばらく待っていただきたい。ボルトのところだけ読みたいひとはサーっと飛ばしてください。
さて、幻肢の実例をみてみよう。
*1
ある水夫の話と、さかさめがねの話
ある水夫が、ふとしたことから右手の人さし指を切り落してしまった。
そのあと四十年間、彼はその指のファントムに悩まされた。むかし切り落した瞬間にそうであったように、いつまでも硬直してぴんと伸びたままである。
右手を顔の方に近づける時はいつも――たとえば、ものを食べる時とか鼻がかゆい時とか――この指が目にずぶりと刺さらないかと心配だった。
(ありえないことだとわかっていても、そういう感じはどうしようもないのだった。)
そのうちに彼は糖尿病性末梢神経障害にかかり、指があるという感覚さえも失われてしまった。
すると例の指のファントムもまた消えてしまった。
*2
おもしろい例。彼の脳は、指があったころの身体イメージをもったままで停止しているのだろう。
もう一例。こちらは幻肢とはちょっとちがう話。
被験者に、「さかさめがね」をかけながら生活してもらう。さかさめがねとは、視界が上下逆転してみえるようなめがねのことである。
ものの見える位置と実際の位置がくいちがうので、はじめはひどい酔いや吐き気を感じる。
しかし、数週間すると、世界はふたたび正立して見えだす。
人間の脳が、視界の上下逆転にも対応できるようなやわらかさを持っていることを示す実験である。*3
そして接続されるボルトと原付
後輩と、ボルトの上半身と下半身を切断して原付とつなぐ話をしていた。*4
古典落語「胴切り」みたいに、上半身は上半身、下半身は下半身で元気にうごいている。下半身は楽しそうに100mを9秒58で走っているが、かわいそうなのは上半身である。まぼろしの両足が腰から生えている感覚だけはありながら、どうにもしようがない。*5大好きなコールオブデューティーでもやって暇をつぶすしかないだろう。
そこで我々は原付のサドル部分にボルトの上半身を移植することにした。大手術である。
麻酔からさめたボルトは奇妙な二重感覚をおぼえるだろう。自分の脚の幽霊が存在する場所に、ホンダ・スーパーカブのボディがかさなって鎮座しているのだから無理もない。
車輪ふたつじゃ立っていられないんじゃないかとか、もっといいバイクと繋いでやれとか、上半身をサドルに埋め込んだらウンコはどうするんだとか様々な苦情があると思うが、そんなことはどうでもよろしい。ボルトはアイドルだからウンコしない。スーパーカブは世界最高のバイクだ。
はじめは困惑顔だったボルトも、一週間も下半身を走らせていればだんだん慣れてくるだろう。人間が車を運転するときに車幅感覚というのがある。自分の手や足の位置を感覚としてなんとなく把握できるように、車の縦や横の幅がどのくらいなのか、ボディ・イメージとしてわかるようになっていく。
それを極めたような感覚をボルトは持つようになるはずだ。陸上界の怪物は、車幅感覚界の怪物へと転身を遂げた。縦列駐車もドリフトもらくらくである。
それから数ヶ月。
こうして第二の生を謳歌しはじめたボルトには申し訳ないが、そろそろ上半身と下半身をつなぎなおさなくてはいけない。
あまりにも長い間上半身と下半身を引き離しておくと魂が分裂して成仏できなくなるのである。エジプトの死者の書にも書いてある。
一度はつながれたボルトとカブのボディを外科的に切り離す。上半身と下半身の結合手術がはじまるまで、ボルトの上半身はしばし手術台におきっぱなしにされる。
僕が興味をもっているのは、この時ボルトがどのような幻肢を感じるのかということだ。
カブのかたちをした幻肢を感じて、あまつさえエンジン部分に幻肢痛を感じたりするのだろうか。もはやそれに「幻肢」という名前をあたえることは適当ではないが。
人ならざるボディイメージを獲得した男がふたたび人間の身体に戻ったとき、何を感じるのだろう。
通常の幻肢でさえ常人には想像しにくいのに、ボルトはそれよりもはるか遠くへいってしまった。世界最速の男である。
あとがき
ボルト選手とジャマイカのみなさんごめんなさい!
サマー・コンプレックス
夏は爽やかであると同時に憂鬱だ。
海水浴、神社のお祭り、花火大会、流しそうめん、美人の幼馴染み*1。
たくさんのイベントがあるが、すべてを満足にこなすことはできない。うだるような暑さも、憂鬱に拍車をかける。
作家の三秋縋は、この感情を「サマー・コンプレックス*2」とよんだ。
僕は昔からそれを「サマー・コンプレックス」と呼んでいるのですが、夏を強く感じさせるものを見るたびに憂鬱になるという人が結構おりまして、その人たちがいうには「自分は『正しい夏』を送ったことがないから」憂鬱なのだそうです。彼らの使う「正しい夏」という概念、僕はなんだかすごく好きです。
— 三秋 縋 (@everb1ue) 2015年6月25日
正しい夏を過ごせなかったこと、つまりイベントをこなすことができなかった後悔が「サマーコンプレックス」と呼ばれているわけだが、それだけでいいのだろうか。
もうすこし別の角度から、サマーコンプレックスについて語ってみたい。
後悔としてのサマーコンプレックス
われわれは「正しい夏をすごしたことがないから」憂鬱なのだ。自分の過去のある地点に「正しい夏」が存在していなければいけなかったのに、それがないから憂鬱になる。
この場合いわれている「正しい夏」というのは、「あの時こうしていれば実現できたのでは……」というたぐいのものではなかろうか。
「あの子を誘っていれば……」とか、「海に行く計画をたてていれば……」とか、そういう後悔が凝り固まってサマーコンプレックスを形成するわけだ。
しかし、僕が感じているサマーコンプレックスはそれとは少しちがう。*3
あの時こうしていれば実現できたのに、というレベルの夏ではなく、まったくたどりつけそうもない夏にあこがれてしまう。
夏についての妄想
しばらく妄想をのべていくのでナンバガの透明少女でも聴きながら読んでください。
「軋轢は加速して風景 記憶・妄想に変わる」というやつですねこれが!
NUMBER GIRL - 透明少女
正しい夏というのはまずさびれた港町に帰省するところからはじまらなくてはいけない。*4
天気は晴れで、入道雲がにょきにょき伸びている。防波堤のコンクリートに腰かけて、凪いだ海をながめる。
祖父母の家は一面畳で、ふすまで仕切られた昔ながらの日本家屋である。もちろん縁側もある。
縁側でそうめんを食べたり将棋を指したりする。蝉の鳴き声、潮と植物の匂い。ひたいを流れる汗。すべてが他人事のように思える一連の感覚。
……畳の部屋でごろごろしていると、海で泳がないかと誘われる。そんなつもりじゃなかったけど、案外楽しい。
夜になると神社で祭りがはじまる。金魚すくい、かき氷、線香花火。太鼓の音。
夏が終わっていくことにあせりを感じながら、愉快な気分でもある。
あまりに日本的な
お付き合いいただいてありがとうございました。ぜんぶ妄想です。
前世はこういう夏をすごしていたんじゃないかと思うぐらい、確固たる「正しい夏」のイメージがある。しかも、「頑張ったら実現できてたんじゃない?」というものではなく、まったく可能性のない夏。
僕以外にも、こういう夏のイデアみたいなものを抱いてるひとってけっこういるのではないかと思う。
後悔ではなく、ひたすら実在しないイメージを追い求めるのもひとつのサマーコンプレックスではないか。
そのイメージが、「日本の夏」であることは重要だという気がする。ハワイやグアムを想像しても、いたたまれないような気持ちになることはない。
サンフランシスコのゴールデンゲートパークから海をみたことがあるけど、あまりに広すぎて感傷とか諦念にひたる余裕もなかった。サマーコンプレックスは日本的な感情なのかもしれない。
補足:天国ではみんなが海の話をする
ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアという映画を思い出した。末期病棟の患者、マーチンとルディが主人公で、ルディは生まれてこのかた海をみたことがない。
マーチンは、海をみたことがなけりゃ天国でのけ者にされるぜ、といい、美しい海のイメージを語りだす。
夕陽と海が溶け合う瞬間。
……と、ここまで書いてこれは夏の映画ではなくて海の映画だということに気づいた。まあ、天国にも夏の話をしている人ぐらいいるでしょう。
よくまとまった映画なのでぜひ!
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秘密結社と自己啓発セミナー
フリーメーソン、ご存知ですよね。特権的な*1石工たちの同業組合からはじまって、だんだん思想的・友愛的な団体に変化していったという背景をもつフリーメーソンですが、それはさておいて、世界一有名な秘密結社ではないでしょうか。なまじ有名なばかりに、地球温暖化から東西冷戦まで、あらゆる陰謀の首謀者にされるというたいへんな役目を背負っています。帝王に逃走はないのだ。
おなじみのマーク。セルジュ・ユタンはこれについて次のように述べている。
直角定規は物質に対する人間の作用と混沌の組織化の象徴である。これに対してコンパスは相対的なものの象徴である。すなわちそれは人智の到達することのできる最大の領域を測定するものである。またコンパスは宇宙のあらゆる表示の端緒である一点から生ずる二つの原理(コンパスの脚によって表示される)の象徴であることも注意すべきである。*2
世界とか加入者を測定して、それを変容させる技術を象徴しているということでしょうか。元が粗石を削って建物をたてる人たちの集団なので、象徴もいきおいこういうのが多くなるようですね。
入社式
現代ではどうなのか知りませんが、初期のメーソンは正統な秘密結社です。しかし結社の存在が秘密にされているということではなく、秘密的な入社式をもつという意味で秘密結社なのです。
たとえばフリーメーソンの入社儀式のひとつを見てみましょう。
……入社希望の新人は、「反省の部屋」にいれられる。
部屋の内部は真っ黒に塗られていて、テーブルと椅子が一組、インク壺ひとつ、水差し一個、パン、硫黄と塩の入った盃がふたつあり、壁には鎌、砂時計、雄鶏(!)などがかかっている。新加入者はここで自己自身を深く振りかえる。
そして持っている金属物をすべてはぎとられ、左胸部と右脚を裸にされる。左の靴を脱がされ、首の周りにスカーフのようなものを結びつけられる。……
わたしたちはこの儀式の手順を知っているわけだから、この入社式は秘密的でもなんでもないと思いたくなります。
しかし、実際のところは違うのだとメーソンの幹部はいいます。
曰く、
門外者はフリーメーソンの儀礼を仔細にわたって知りつくしているが、<<フリーメーソンの秘密>>は今まで一度も見抜かれたことはないし、また見抜かれることはできない
と。
つまり、この儀式において本質的なのは入社者が内面的に変化することであって、それが部外者にはわからない秘密なのだということです。
儀式の前後において入社者は一度死んでふたたび再生し、不可逆な心理的変化を被ります。ひとたび秘密を知ってしまったが最後、あとには戻れません。
自己啓発セミナー
ここまで世界史の教科書みたいな文章で進めてきたのにいきなり俗っぽいところに話をもどしますが、これとよく似た手口だなと思うのが自己啓発セミナー。
自己啓発セミナーは、ビルの一室に集められたり合宿をしたりと形式はさまざまですが、ともかくトレーナーの指示にしたがって「本当の自分を見つけ」「可能性を開き」「自己の殻を打ち破る」セミナーのこと。要は洗脳して多額のお金を取る商法です。最近は下火になってきましたが、バブル前後にはなかなかはやっていたようです。
そしてこれが、めちゃめちゃ効く。どんな内容のセミナーなのかわかった上で行ってもコロッと人格改造されてしまうらしいです。
プログラムはどんな業者でもだいたい同じで、否定→救済の繰り返し。*3
たとえば、
20〜50人の合宿。
1.ネガティブ・フィードバック
グループを組んで、メンバーの悪いところを容赦なく指摘する。はっきり言えない人はトレーナーに徹底的に罵倒される。
この段階で泣き出す人も多い。自己否定のはじまり。2.ボートの実習
全員が床にすわり、船が難破した場面をイメージ。5人乗りの救命ボートが一艘だけあって、それに乗らねば助からないことを告げられる。
(部屋は薄暗く、波の音がBGMとして流れ、集団催眠におちいる。)
全員が「助かりたい!」「生きたい!」と腹の底から叫ばされる。
その後、メンバーの中で生き残ってほしい人を5人きめる。その5人に入れなかったものは”死亡”し、生き残る5人に(いちばん大切な人への)メッセージを託す。3.ダンス
トレーナーが「おや、光が見えます。ここは病院のベットの上です。あなたは奇跡的に助かったのです!」と言う。部屋が明るくなる。
全員が抱き合って感動をわかちあう(集団催眠にかかっているので)。
大音量で音楽がかかり、トレーナーの「さあ踊って!」という合図とともに、会場がディスコと化す。全員が感動のあまり踊り狂う。
*4
……文章で手順を説明されただけでは子供だましという感じですが、この儀式の参加者にとってはすべてが真実です。
秘密結社の入社式と同じで、
「儀式の前後において入社者は"一度死んでふたたび再生し"、"不可逆な心理的変化"を被ります。ひとたび"秘密"を知ってしまったが最後、後には戻れません。」
ということですね。
秘密結社的な思想が死に絶えることは永遠にないのでしょう。
- 作者: セルジュ・ユタン,有田忠郎
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座頭市(北野武・2003)
もう十数年前の映画になるけど、きのう北野武の「座頭市」を見ました。
タップダンスのイメージが強かったけど、ダンスのシーン自体は短くてひたすら市(演:北野武)の最強っぷりを楽しむ映画でした。
蓮實重彦が「市は江戸時代にまぎれこんだ金髪の宇宙人だ!」と言っていたがなかなか的を射た表現じゃないかと思います。オイラは最強だから石灯籠だって真っ二つにできるんですよね。市の最強さが音によって保証されているというのも蓮實先生の指摘通りだと思います。殺陣のときの効果音はうまく働いてるし、農民の鍬がBGMと同調してるシーンなども映画全体の現実離れした雰囲気を象徴していていい。
※画像はイメージです
あらすじ
盲目の剣客であり按摩さんに扮している市、凄腕の浪人とその妻、仇敵を追っている姉妹が、やくざの銀蔵一家が支配する街にながれつく。
浪人は妻の薬代のために銀蔵の用心棒になる。市と浪人は街で出会い、互いの腕を見抜く。
市がイカサマをした博打の胴元を切りまくったり、浪人が船八一家を全滅させたりしてるあいだに、姉妹の敵は銀蔵だと判明し、事態はタップダンスへと収束していく……
いくつかのシーン
市(たけし) vs 浪人(浅野忠信)
この映画の浅野忠信、めちゃめちゃ強い。数えてないけどたけしよりたくさん殺してるんじゃないか?
そんな浅野忠信とたけしの最後の戦いがとてもカッコいいんですが、序盤にわかりやすい伏線があります。
街の飲み屋で2人が斬り合いになりかけたときに、たけしが
「こんな狭いところで刀そんなふうに掴んじゃダメだよ」
と言うんですね。至近距離の戦いだったので、ふつうに抜くよりたけしの逆手持ちのほうが速く抜けるということのようです。
そして最後の戦い。
浅野忠信は負けず嫌いかつ物覚えがいい*1ので、最終決戦でもこれをしっかり覚えています。
刀を抜いて待ってりゃいいのに、あのときの雪辱をはらすべくわざわざ至近距離の居合戦に持ち込みます。ひろーい砂浜なのに。
そして浅野忠信は逆手持ちにした自分がたけしの一撃をうけとめてからバッサリ切り捨てるイメージを頭に思い描きます。妄想大展開!勝った!
と思いきや、順手に持ち替えたたけしに斬られてしまう。野外でもあのアドバイスが通用するとは限らないのだ……
という流れ。わかりやすい伏線をはって、それを回収するだけなんですけど、わかってても笑っちゃうコントみたいな良さがある。浅野忠信のガンコさもちょっとおもしろいのかもしれない。極限の殺人状態は笑いに近いですね。
妻の死
さきほどの戦いの裏で、浅野忠信の妻がひっそりと切腹します。
この切腹、特に映画内で明かされるような理由はないんですけど、その意味の無さがいい。
「市は強い。なぜなら市は強いからだ」というトートロジーが支配するこの座頭市ワールドで、「妻は死ぬ。なぜなら妻は死ぬからだ」*2という裏のメッセージ?みたいなのをスッと呈示できるところに監督の鋭さを感じます。
けっきょく市の目は見えていたのか
くちなわの頭を斬るところで、市が急に目をひらきますね。
その後も、目が開いてたって見えてるとは限らねえんだけどな、みたいなことをぼやき、結局のところ見えてるのか見えてないのかわからないまま映画は幕を閉じます。
僕の所感としては、これはタランティーノの「イングロリアス・バスターズ」でヒトラー撃ち殺しちゃうみたいなものなのかなあと思いました。監督が「リメイクするんだったら目を開くぐらいのインパクトがあっていい」と思っただけなんじゃないか?と。あまり深く考えてないんじゃないかこれは。
まあ、一応考えられるふたつのパターンを検討してみたいと思います。
- 目は見えていて、盲目のふりをしているだけだった
ずっと目を閉じとくのはめんどくさい。そもそも、目が見えてないほうがいろんなものが見えてるんだよ〜というメッセージがぶれる。舐めプに負けた浅野忠信かわいそう。あえて目をとじることによるテーマ性はある。etc......
- 目は見えていなかったが、くちなわの頭にハッタリをかました
目が白く濁っていたのでその可能性はある。ハッタリの隙に斬るのは作戦としておもしろい。最後のぼやきも、まぶたがあけられるからって目が見えてるとは限らないんだけどな〜という意味として通る。
見えてない→見えてるふり→見えてない という二段オチが妥当なんじゃないかと思うけど、どうなんでしょうか!
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タイタニックに乗ったときの生還確率
はじめに
タイタニックの沈没、世界でいちばん有名な海難事故といっていいんじゃないでしょうか。都市伝説も多いですよね。実は船がすりかえられてたんじゃないかとか。機会がなくて映画はみたことがないんですけど、母がよく「あれは恋愛ものじゃなくてホラーだ」と言っているのでホラー映画なんだと思います。みたことないけど。
で、そのタイタニックの乗員のデータ、つまり
「名前、客室の等級、性別、年齢、一緒に乗っていた兄弟と配偶者の人数、一緒に乗っていた親と子供の人数、支払った運賃、どの港から乗ったか、生還したか、etc」
が
WebHome < Main < Vanderbilt Biostatistics Wiki
で手に入ることがわかったので、いろいろ解析してみようと思います。ヴァンタービルト大学ありがとう。*1
で、データをいじってみて「タイタニックに乗ったときの生還確率をもとめる計算式」を作り出すことを目標にします。
計算式だけがみたい人は結論のところまで飛ばそう!
解析
統計解析にはR言語を使います。
子供かどうかを付けくわえる
Rstudioで生データを見てみるとこんな感じ。
大人か子供かのデータがないので、12歳以下を子供として「子供かどうか?」の項目isChildを元々のデータに追加する。
Rの使いかたがよくわかってないのでここはEXCELをつかう。いきなり雰囲気が所帯じみてきた。
=IF((セル) = "","",IF((セル)<=12,1,0))
年齢が空欄の人がいるので処理がガチャガチャしてるけど、とりあえずできました。
あとの方で必要になったので、同じようにして、男性か女性かを1,0で表すisMaleという項目も追加しました。行き当たりばったり
それぞれのデータをみていく
生存率と男女比
setwd('/Users/***/Documents/R/Titanic') data <- read.csv("titanic3.csv") survivor <- sum(data$survived) dead <- nrow(data) - survivor bars <- c(survivor,dead) deadper <- round((dead/(survivor+dead))*100,digits = 1) deadper <- paste(as.character(deadper),"% Died") male <- sum(data$sex == "male") female <- sum(data$sex == "female") sex = c(male,female) barplot(bars,names.arg = c("survived","dead"),col = c("blue","red"),main = deadper) barplot(sex,names.arg = c("male","female"),col = c("blue","red"),main = "sex",ylim = c(0,1000))
ディレクトリ名で本名が見えちゃってたのでそこだけ***に変えました。
setwdをしないとcsvが読み込めなかったり、sumに空白を読ませてしまうと上手く動作しなかったりなど問題はあったがとりあえずできた。
90%ぐらい亡くなったような気持ちでいたが死亡率は61.8%。意外と低いとか思ってしまった。もちろんそんなことはないんだけど。
男女比はこんな感じ。
年齢と運賃
年齢と運賃は大事そうなデータですね。高い料金を払っている客や子供は優先的に避難できそうな気がします。
運賃について補足すると、タイタニックの客室は一等客室から三等客室にわかれています。しかし料金は三種類ではなくて、各等級のなかでさらに細かく段階があります。オプションが細かいのかもしれません。ここらへんは詳しい人にお聞きしたい。
では、まず年齢のヒストグラムから。
age <- data$age h <- hist(age)
横軸は5歳刻み。豪華客船というと壮年の金持ちが乗っているイメージですが、意外と若者が多いんですね。
次は運賃。
fare <-data$fare f <-hist(fare,breaks = "FD")
運賃の単位はポンド。正確さは保証できませんがインターネットの情報によると、当時の3ポンドが現在の350ドルにあたるらしいです。
5−10ポンドを払って乗船している人がおおいので、10万円ぐらい払っている客がいちばん多かったということでしょうか。飛行機がないことを考えるとまあまあ良心的なのでは?
あと、見にくくて恐縮ですがヒストグラムの右端に500ポンドぐらい払ってるとんでもない方々がいますね。この三人は有名な富豪らしいです。
500ポンドというと現在の貨幣価値でいうと600万円ぐらいになるのかな?時代が違うとはいえすごい。ちなみに500ポンド払った人たちは全員助かってます。リッチマンズワールド。
重回帰分析
じゃあ、さっそく重回帰分析*2をつかって生還確率の計算式を求めていきます。
変数としては
isMale:男かどうか?
pclass:客室の等級は?
age:年齢は?
をつかってみます。いろいろ試したらこれがいちばんマシな結果だった。
コードは2行で済みます。イルマティックな言語だなあ。
dat.lm <- lm(dat$survived ~ isMale+pclass+age,data = dat) summary(dat.lm)
summaryを表示するとこんな感じ。
Residuals: Min 1Q Median 3Q Max -1.08309 -0.25801 -0.08043 0.21930 0.99758 Coefficients: Estimate Std. Error t value Pr(>|t|) (Intercept) 1.2762817 0.0540773 23.60 < 2e-16 *** age -0.0052002 0.0009285 -5.60 2.73e-08 *** pclass -0.1827877 0.0160407 -11.39 < 2e-16 *** isMale -0.4914873 0.0255501 -19.24 < 2e-16 *** --- Signif. codes: 0 ‘***’ 0.001 ‘**’ 0.01 ‘*’ 0.05 ‘.’ 0.1 ‘ ’ 1 Residual standard error: 0.3913 on 1042 degrees of freedom (263 observations deleted due to missingness) Multiple R-squared: 0.3686, Adjusted R-squared: 0.3668 F-statistic: 202.8 on 3 and 1042 DF, p-value: < 2.2e-16
何がなんだかわからないと思いますが僕もよくわかりません。
Coefficientsというのが係数で、これは大事。age、pclass、isMaleというパラメータに対してこの係数をかけるわけですね。たとえばageの係数はだいたい-0.001なので、年齢が1歳あがるごとに生存率が0.001さがると仮定していることになります。
あとR-squaredというのも大事。これが1に近いほど回帰式が確かだということになります。
0.3686というのはぜんぜん良くないですね。業界用語でいうと”弱い相関”と言うらしい。
まあ、統計的有意ではあるのでよしとしましょう。よし。
結論
生存率 = -0.0052002×年齢 + (-0.1827877)×客室の等級 + (-0.4914873)×男かどうか + 1.2762817「客室の等級」は一等客室から三等客室までなので1~3のどれかの数字、「男かどうか」には男性なら1、女性なら0が入ります。
いちおう計算フォームを用意してみたので、「年齢→客室の等級→男かどうか」の順に入力すると結果がわかります。
1に近いほど生存率が高いことになります。
ガバガバの分析だったのでもうちょっといろいろ勉強したいなあと思った。
お付き合いいただきありがとうございました!
*1:統計界では定番の練習問題らしくて、みんなやってるので参考URLはたくさんあるんですが、特にこの記事を参考にしました [Python]Pandasでタイタニック号の乗客データを解析する - Qiita
*2:生存確率=a*年齢+b*客室の等級+....みたいな感じの計算式を考えて、その係数a,b,...をもとめるという手法。正直よくわかってない。
未来世紀ブラジル
見たので感想を書く。
あらすじ
世は管理社会。マシンの誤作動によって書類の「タトル」と「バトル」が打ち間違えられ、無実のバトル氏は連行されてしまう。それを目撃したのがトラック運転手のジル。
一方、主人公のサムは情報省記録局につとめる男。自分がイカロス風の羽をつけて空を飛びまわり、パツキンの美女を救い出す夢を夜な夜な見ている。
サムは名前打ち間違え事件を処理する中で、ジルが夢のパツキンの美女とそっくりであることを知る。サムは様々なコネを駆使してジルに迫るが…?
打ち間違いで助かったタトル氏は書類嫌いのフリーの空調修理屋で、サムの家にやってくる。カッコいい。ロバート・デ・ニーロ。
感想
ここからネタバレあり。
大きなくくりでいえば「ディストピアもの」ということになるこの作品だが、この管理社会はブラックユーモアたっぷりに描写されている。特殊部隊をさんざん突入させたあとで書類にサインを要求する官僚、役所間のたらい回し、たかが小切手一枚をめぐる官僚間の責任の押し付けあい、決済を仰ぐために上司を追いかけ回す大量の部下、etc…。
ディストピアとあんまり関係のない「モンティ・パイソン」的なネタも随所に登場している。
主人公の母とその友達が美容整形レースをしていて、ご友人はヤブ医者に顔を包帯だらけにされても「合併症らしいわ。先生が言うにはすぐ治るそうよ」と言いはる。主人公のアパートは朝起きると自動的にパンが焼けてコーヒーが淹れられて…と、なんともフューチャーな感じになっているのだがどれも誤作動する。
などなど、盛りだくさん。
このような描写を支えているのが映像作家としてのギリアムの手腕だ。ダクト、タイプライターとパソコンが合体したような端末、巨大なビル、スーパーカミオカンデみたいな尋問室、汚いババアの顔など、どれもケレン味たっぷりに描かれている。「リベリオン」のような管理社会の雰囲気を保ちつつ「スター・ウォーズ」「Fallout」「モンティ・パイソンの人生狂騒曲*1」を足した感じで、「Fallout」っぽいガジェットが好きな人はいくつか楽しめるシーンがあるのではないかと思う。
ギリアニメーションは冒頭のニュースのシーンにちょこっとだけ出てくる。
本題
この映画の骨格を要約すると次のようになる。
「夢に出てきた理想の女性と現実で結ばれようとするが、それは失敗し、妄想の中だけで達成される」
正確にいうと主人公は「夢に出てきた理想の女性と顔が同じだけの現実の女性(ジル)」と結ばれようとしているだけなので、このような試みが失敗するのは客観的にはわかりきっている。現実の女性が、夢のなかの女性に対する愛を受け入れてくれるとは考えにくい。
だが彼の立場ではそう切って捨てることはできない。なぜか。
ジルの存在があまりにも「現実的」すぎるからではないかと思う。
理想の女性が目の前にあらわれることのどこが現実的なんだと言う人がいるかもしれないが、この「現実」とは「象徴化できないもの」を指している。
ジルは彼にとって「妄想の極限」である。妄想が実現してくれるのはいいことのように思われるかもしれないが、それは人間に狂気をもたらす。「精神病者」になってしまうということだ。
ラカンが述べたように、人間の「欲望の対象」というのはふつう隠蔽されている。糸井重里の名コピーに「ほしいものが、ほしいわ。」というのがあるが、これがよい説明になっていると思う。「なぜそれが欲しいのか」という理由を説明するのはとても難しいことで、「みんな持ってるから」とか「材質が気に入った」とか口でいってみても、欲しいものを目にしたときに自分の心のなかにわきあがってくるあの「欲望」を説明できていないことに気づくだろう。
それに対して、精神病者の「欲望の対象」は実体化している。幻聴・幻覚を想像すれば、妄想にすぎないことが実現してしまうことがいかに恐ろしいかわかるだろう。ジルはそのような意味で、主人公にとって恐ろしいものだ。だから彼は狂ったようにジルを追いかけてしまう。また、ジルは妄想と現実の交わる異常なポイントそのものだから、そのポイントに直接触れてしまうこと=終盤のセックスシーンは、彼に決定的な破滅をもたらす。あのシーンでジルが長髪のかつらをつけているのは不自然に思えるが、主人公が現実から妄想に足を踏み入れてしまったことを表していると考えると納得がいく。
その他
- ジャック役のペイリンはいい演技をしている。笑顔で「僕たちは旧友だ。だからしばらく近寄らないでくれ」みたいなことをいうシーンはいかにも英国人。
- ラストシーンは主人公が発狂したことがわかるオリジナル版と、ジルとトラックで逃げ出すところで終わるハッピーエンド版があるらしい。ひどい改変。
- ヘルプマン氏のトイレを手伝うシーンや、棺桶から肉塊がくずれ落ちるように出てくるシーンなどの「汚さ」がいい味出してる。
- いつのまにかジルが主人公を好きになっていることは唐突に感じた。
- 主人公の夢のなかや拷問のシーンで出てくる赤ちゃんのような仮面、Green Dayの「Basket case」のPVにも似たようなやつが出てきたけど海外ではよくあるやつなんだろうか。シンプルながらに気持ち悪くてよかった。
Green Day - Basket Case [Official Music Video]
アウト寸前がカッコいい
この世で何が怖いといっても、「バイトに遅れる夢」と「何をしでかすかわからない悪役」ほど怖いものはない。後者の代表的なキャラクターといえばノーマン・スタンスフィールド。「レオン」でゲイリー・オールドマンが演じた極悪麻薬捜査官だ。
※以下、映画「レオン」「イングロリアス・バスターズ」「パルプ・フィクション」についてのネタバレがあります
スタンスフィールドは、麻薬取締局の刑事であるにもかかわらず自らもまたドラッグ中毒だという矛盾をはらんでいる。麻薬の錠剤を噛みつぶし*1、ベートーヴェンを聴きながらショットガンを撃ちまくって、何人殺しても平気な顔をしている。これだけでも恐るべきキャラクターだが、スタンスフィールドのほんとうの怖さは、怒りの沸点がつかめないところだ。
この男はキレるべきときにキレないのに、キレなくていいところでキレる。
麻薬を横領していた部下を問いつめる時なんかは大声を出さない。しかし、
「部下を全員呼べ」という指示を出して
「全員?」と聞き返されたときは
「全員だ!!!」とそれはすさまじいキレ方をする。
なんというか身内にはいてほしくないタイプの人間だが、観客に「次に何をしでかすかわからない」という緊張感をあたえる意味ではすばらしいキャラクターだといえる。
この型のキャラクター造形・ストーリーづくりがうまいのが映画監督クエンティン・タランティーノだ。タランティーノ映画には「平穏の突然な破綻」という流れがよく見られる。「イングロリアス・バスターズ」なんかほとんどその繰り返しと言っていい。要はくだらない会話を長く続けたあとに突如として銃撃戦がはじまるあのスタイルのことだ。*2
タランティーノの出世作「パルプ・フィクション」からこのスタイルは確立されている。ダイナーでくだらない会話をしているカップルが銃を振り回して強盗をはじめる印象的なオープニングがまさしくそれだ。
「パルプ・フィクション」といえば、殺し屋二人組もスタンスフィールド刑事のようなキャラ性を持っている。サミュエル・L・ジャクソン演じるジュールス(右)は、ハンバーガーの話をしながら片手間に男を撃ち殺したかと思えば突然大声を出してキレる。かと思えばでたらめな聖書の一節を暗誦してみせる。
ジョン・トラボルタ演じるヴィンセント・ベガ*3(左)は、ビジネスライクな面があるかと思えば短気で、たとえどんな状況であっても人に命令されることを好まない。
ふたりとも「いい人」「行儀のいいカッコよさ」とはほど遠い人間だが、それでも魅力的だ。変にカッコつけてるキャラクターよりも、こういった人たちのほうが(映画としては)いいなあと思う。アウト寸前がカッコいい。
*1:
Gary Oldman - Leon - pills - YouTube
*2:ヘルシュトローム少佐を交えて人物当てゲームをするところなどがわかりやすい。
*3:トラボルタがいちばんカッコよく演じている役だと思う