秘密結社と自己啓発セミナー

フリーメーソン、ご存知ですよね。特権的な*1石工たちの同業組合からはじまって、だんだん思想的・友愛的な団体に変化していったという背景をもつフリーメーソンですが、それはさておいて、世界一有名な秘密結社ではないでしょうか。なまじ有名なばかりに、地球温暖化から東西冷戦まで、あらゆる陰謀の首謀者にされるというたいへんな役目を背負っています。帝王に逃走はないのだ。
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おなじみのマーク。セルジュ・ユタンはこれについて次のように述べている。

直角定規は物質に対する人間の作用と混沌の組織化の象徴である。これに対してコンパスは相対的なものの象徴である。すなわちそれは人智の到達することのできる最大の領域を測定するものである。またコンパスは宇宙のあらゆる表示の端緒である一点から生ずる二つの原理(コンパスの脚によって表示される)の象徴であることも注意すべきである。*2

世界とか加入者を測定して、それを変容させる技術を象徴しているということでしょうか。元が粗石を削って建物をたてる人たちの集団なので、象徴もいきおいこういうのが多くなるようですね。

入社式

現代ではどうなのか知りませんが、初期のメーソンは正統な秘密結社です。しかし結社の存在が秘密にされているということではなく秘密的な入社式をもつという意味で秘密結社なのです。
たとえばフリーメーソンの入社儀式のひとつを見てみましょう。

……入社希望の新人は、「反省の部屋」にいれられる。
部屋の内部は真っ黒に塗られていて、テーブルと椅子が一組、インク壺ひとつ、水差し一個、パン、硫黄と塩の入った盃がふたつあり、壁には鎌、砂時計、雄鶏(!)などがかかっている。新加入者はここで自己自身を深く振りかえる。
そして持っている金属物をすべてはぎとられ、左胸部と右脚を裸にされる。左の靴を脱がされ、首の周りにスカーフのようなものを結びつけられる。……

わたしたちはこの儀式の手順を知っているわけだから、この入社式は秘密的でもなんでもないと思いたくなります。
しかし、実際のところは違うのだとメーソンの幹部はいいます。
曰く、

門外者はフリーメーソン儀礼を仔細にわたって知りつくしているが、<<フリーメーソンの秘密>>は今まで一度も見抜かれたことはないし、また見抜かれることはできない

と。
つまり、この儀式において本質的なのは入社者が内面的に変化することであって、それが部外者にはわからない秘密なのだということです。
儀式の前後において入社者は一度死んでふたたび再生し、不可逆な心理的変化を被ります。ひとたび秘密を知ってしまったが最後、あとには戻れません。
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自己啓発セミナー

ここまで世界史の教科書みたいな文章で進めてきたのにいきなり俗っぽいところに話をもどしますが、これとよく似た手口だなと思うのが自己啓発セミナー
自己啓発セミナーは、ビルの一室に集められたり合宿をしたりと形式はさまざまですが、ともかくトレーナーの指示にしたがって「本当の自分を見つけ」「可能性を開き」「自己の殻を打ち破る」セミナーのこと。要は洗脳して多額のお金を取る商法です。最近は下火になってきましたが、バブル前後にはなかなかはやっていたようです。
そしてこれが、めちゃめちゃ効く。どんな内容のセミナーなのかわかった上で行ってもコロッと人格改造されてしまうらしいです。

プログラムはどんな業者でもだいたい同じで、否定→救済の繰り返し。*3
たとえば、

20〜50人の合宿。
1.ネガティブ・フィードバック
グループを組んで、メンバーの悪いところを容赦なく指摘する。はっきり言えない人はトレーナーに徹底的に罵倒される。
この段階で泣き出す人も多い。自己否定のはじまり。

2.ボートの実習
全員が床にすわり、船が難破した場面をイメージ。5人乗りの救命ボートが一艘だけあって、それに乗らねば助からないことを告げられる。
(部屋は薄暗く、波の音がBGMとして流れ、集団催眠におちいる。)
全員が「助かりたい!」「生きたい!」と腹の底から叫ばされる。
その後、メンバーの中で生き残ってほしい人を5人きめる。その5人に入れなかったものは”死亡”し、生き残る5人に(いちばん大切な人への)メッセージを託す。

3.ダンス
トレーナーが「おや、光が見えます。ここは病院のベットの上です。あなたは奇跡的に助かったのです!」と言う。部屋が明るくなる。
全員が抱き合って感動をわかちあう(集団催眠にかかっているので)。
大音量で音楽がかかり、トレーナーの「さあ踊って!」という合図とともに、会場がディスコと化す。全員が感動のあまり踊り狂う。
*4

……文章で手順を説明されただけでは子供だましという感じですが、この儀式の参加者にとってはすべてが真実です。
秘密結社の入社式と同じで、
「儀式の前後において入社者は"一度死んでふたたび再生し"、"不可逆な心理的変化"を被ります。ひとたび"秘密"を知ってしまったが最後、後には戻れません。」
ということですね。
秘密結社的な思想が死に絶えることは永遠にないのでしょう。

錬金術 (文庫クセジュ)

錬金術 (文庫クセジュ)

*1:Freemasonryとは「義務を免除された石工」のこと。教会建築に携わることで特権をあたえられていた

*2:「秘密結社」(セルジュ・ユタン)より。他もだいたいそうです

*3:ここが秘密結社の入社式の「死んでふたたび再生し」と対応するわけです。老婆心ながら

*4:人格改造マニュアル」(鶴見済)より

座頭市(北野武・2003)

もう十数年前の映画になるけど、きのう北野武の「座頭市」を見ました。
タップダンスのイメージが強かったけど、ダンスのシーン自体は短くてひたすら市(演:北野武)の最強っぷりを楽しむ映画でした。
蓮實重彦が「市は江戸時代にまぎれこんだ金髪の宇宙人だ!」と言っていたがなかなか的を射た表現じゃないかと思います。オイラは最強だから石灯籠だって真っ二つにできるんですよね。市の最強さがによって保証されているというのも蓮實先生の指摘通りだと思います。殺陣のときの効果音はうまく働いてるし、農民の鍬がBGMと同調してるシーンなども映画全体の現実離れした雰囲気を象徴していていい。
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※画像はイメージです

あらすじ

盲目の剣客であり按摩さんに扮している市、凄腕の浪人とその妻、仇敵を追っている姉妹が、やくざの銀蔵一家が支配する街にながれつく。
浪人は妻の薬代のために銀蔵の用心棒になる。市と浪人は街で出会い、互いの腕を見抜く。
市がイカサマをした博打の胴元を切りまくったり、浪人が船八一家を全滅させたりしてるあいだに、姉妹の敵は銀蔵だと判明し、事態はタップダンスへと収束していく……

いくつかのシーン

市(たけし) vs 浪人(浅野忠信

この映画の浅野忠信、めちゃめちゃ強い。数えてないけどたけしよりたくさん殺してるんじゃないか?
そんな浅野忠信とたけしの最後の戦いがとてもカッコいいんですが、序盤にわかりやすい伏線があります。
街の飲み屋で2人が斬り合いになりかけたときに、たけしが
こんな狭いところで刀そんなふうに掴んじゃダメだよ
と言うんですね。至近距離の戦いだったので、ふつうに抜くよりたけしの逆手持ちのほうが速く抜けるということのようです。

そして最後の戦い。
浅野忠信負けず嫌いかつ物覚えがいい*1ので、最終決戦でもこれをしっかり覚えています。
刀を抜いて待ってりゃいいのに、あのときの雪辱をはらすべくわざわざ至近距離の居合戦に持ち込みます。ひろーい砂浜なのに。
そして浅野忠信は逆手持ちにした自分がたけしの一撃をうけとめてからバッサリ切り捨てるイメージを頭に思い描きます。妄想大展開!勝った!
と思いきや、順手に持ち替えたたけしに斬られてしまう。野外でもあのアドバイスが通用するとは限らないのだ……

という流れ。わかりやすい伏線をはって、それを回収するだけなんですけど、わかってても笑っちゃうコントみたいな良さがある。浅野忠信のガンコさもちょっとおもしろいのかもしれない。極限の殺人状態は笑いに近いですね。

妻の死

さきほどの戦いの裏で、浅野忠信の妻がひっそりと切腹します。
この切腹、特に映画内で明かされるような理由はないんですけど、その意味の無さがいい。
市は強い。なぜなら市は強いからだ」というトートロジーが支配するこの座頭市ワールドで、「妻は死ぬ。なぜなら妻は死ぬからだ*2という裏のメッセージ?みたいなのをスッと呈示できるところに監督の鋭さを感じます。

けっきょく市の目は見えていたのか

くちなわの頭を斬るところで、市が急に目をひらきますね。
その後も、目が開いてたって見えてるとは限らねえんだけどな、みたいなことをぼやき、結局のところ見えてるのか見えてないのかわからないまま映画は幕を閉じます。
僕の所感としては、これはタランティーノの「イングロリアス・バスターズ」でヒトラー撃ち殺しちゃうみたいなものなのかなあと思いました。監督が「リメイクするんだったら目を開くぐらいのインパクトがあっていい」と思っただけなんじゃないか?と。あまり深く考えてないんじゃないかこれは。
まあ、一応考えられるふたつのパターンを検討してみたいと思います。

  • 目は見えていて、盲目のふりをしているだけだった

ずっと目を閉じとくのはめんどくさい。そもそも、目が見えてないほうがいろんなものが見えてるんだよ〜というメッセージがぶれる。舐めプに負けた浅野忠信かわいそう。あえて目をとじることによるテーマ性はある。etc......

  • 目は見えていなかったが、くちなわの頭にハッタリをかました

目が白く濁っていたのでその可能性はある。ハッタリの隙に斬るのは作戦としておもしろい。最後のぼやきも、まぶたがあけられるからって目が見えてるとは限らないんだけどな〜という意味として通る。


見えてない→見えてるふり→見えてない という二段オチが妥当なんじゃないかと思うけど、どうなんでしょうか!

座頭市 <北野武監督作品> [DVD]

座頭市 <北野武監督作品> [DVD]

*1:仕官時代に浪人にボコボコにされたお礼参りにしっかり行くぐらい

*2:浪人が死んだから妻もいっしょに死ぬんじゃないの?という指摘もあるかと思うけど、それだって大した理由にはなってないですよね。だって浪人が市に勝って帰ってくるかもしれないんだし

タイタニックに乗ったときの生還確率

はじめに

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タイタニックの沈没、世界でいちばん有名な海難事故といっていいんじゃないでしょうか。都市伝説も多いですよね。実は船がすりかえられてたんじゃないかとか。機会がなくて映画はみたことがないんですけど、母がよく「あれは恋愛ものじゃなくてホラーだ」と言っているのでホラー映画なんだと思います。みたことないけど。

で、そのタイタニックの乗員のデータ、つまり

「名前、客室の等級、性別、年齢、一緒に乗っていた兄弟と配偶者の人数、一緒に乗っていた親と子供の人数、支払った運賃、どの港から乗ったか、生還したか、etc」


WebHome < Main < Vanderbilt Biostatistics Wiki

で手に入ることがわかったので、いろいろ解析してみようと思います。ヴァンタービルト大学ありがとう。*1
で、データをいじってみて「タイタニックに乗ったときの生還確率をもとめる計算式」を作り出すことを目標にします。
計算式だけがみたい人は結論のところまで飛ばそう!

解析

統計解析にはR言語を使います。

子供かどうかを付けくわえる

Rstudioで生データを見てみるとこんな感じ。
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大人か子供かのデータがないので、12歳以下を子供として「子供かどうか?」の項目isChildを元々のデータに追加する。
Rの使いかたがよくわかってないのでここはEXCELをつかう。いきなり雰囲気が所帯じみてきた。

=IF((セル) = "","",IF((セル)<=12,1,0))

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年齢が空欄の人がいるので処理がガチャガチャしてるけど、とりあえずできました。
あとの方で必要になったので、同じようにして、男性か女性かを1,0で表すisMaleという項目も追加しました。行き当たりばったり

それぞれのデータをみていく

生存率と男女比
setwd('/Users/***/Documents/R/Titanic')
data <- read.csv("titanic3.csv")

survivor <- sum(data$survived)
dead <- nrow(data) - survivor
bars <- c(survivor,dead)
deadper <- round((dead/(survivor+dead))*100,digits = 1)
deadper <- paste(as.character(deadper),"% Died")

male <- sum(data$sex == "male")
female <- sum(data$sex == "female") 

sex = c(male,female)

barplot(bars,names.arg = c("survived","dead"),col = c("blue","red"),main = deadper)
barplot(sex,names.arg = c("male","female"),col = c("blue","red"),main = "sex",ylim = c(0,1000))

ディレクトリ名で本名が見えちゃってたのでそこだけ***に変えました。
setwdをしないとcsvが読み込めなかったり、sumに空白を読ませてしまうと上手く動作しなかったりなど問題はあったがとりあえずできた。
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90%ぐらい亡くなったような気持ちでいたが死亡率は61.8%。意外と低いとか思ってしまった。もちろんそんなことはないんだけど。
男女比はこんな感じ。
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年齢と運賃

年齢と運賃は大事そうなデータですね。高い料金を払っている客や子供は優先的に避難できそうな気がします。
運賃について補足すると、タイタニックの客室は一等客室から三等客室にわかれています。しかし料金は三種類ではなくて、各等級のなかでさらに細かく段階があります。オプションが細かいのかもしれません。ここらへんは詳しい人にお聞きしたい。
では、まず年齢のヒストグラムから。

age <- data$age
h <- hist(age)

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横軸は5歳刻み。豪華客船というと壮年の金持ちが乗っているイメージですが、意外と若者が多いんですね。
次は運賃。

fare <-data$fare
f <-hist(fare,breaks = "FD")

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運賃の単位はポンド。正確さは保証できませんがインターネットの情報によると、当時の3ポンドが現在の350ドルにあたるらしいです。
5−10ポンドを払って乗船している人がおおいので、10万円ぐらい払っている客がいちばん多かったということでしょうか。飛行機がないことを考えるとまあまあ良心的なのでは?
あと、見にくくて恐縮ですがヒストグラムの右端に500ポンドぐらい払ってるとんでもない方々がいますね。この三人は有名な富豪らしいです。
500ポンドというと現在の貨幣価値でいうと600万円ぐらいになるのかな?時代が違うとはいえすごい。ちなみに500ポンド払った人たちは全員助かってます。リッチマンズワールド。

重回帰分析

じゃあ、さっそく重回帰分析*2をつかって生還確率の計算式を求めていきます。
変数としては
isMale:男かどうか?
pclass:客室の等級は?
age:年齢は?
をつかってみます。いろいろ試したらこれがいちばんマシな結果だった。
コードは2行で済みます。イルマティックな言語だなあ。

dat.lm <- lm(dat$survived ~ isMale+pclass+age,data = dat)
summary(dat.lm)

summaryを表示するとこんな感じ。

Residuals:
     Min       1Q   Median       3Q      Max 
-1.08309 -0.25801 -0.08043  0.21930  0.99758 

Coefficients:
              Estimate Std. Error t value Pr(>|t|)    
(Intercept)  1.2762817  0.0540773   23.60  < 2e-16 ***
age         -0.0052002  0.0009285   -5.60 2.73e-08 ***
pclass      -0.1827877  0.0160407  -11.39  < 2e-16 ***
isMale      -0.4914873  0.0255501  -19.24  < 2e-16 ***
---
Signif. codes:  0 ‘***’ 0.001 ‘**’ 0.01 ‘*’ 0.05 ‘.’ 0.1 ‘ ’ 1

Residual standard error: 0.3913 on 1042 degrees of freedom
  (263 observations deleted due to missingness)
Multiple R-squared:  0.3686,	Adjusted R-squared:  0.3668 
F-statistic: 202.8 on 3 and 1042 DF,  p-value: < 2.2e-16

何がなんだかわからないと思いますが僕もよくわかりません。
Coefficientsというのが係数で、これは大事。age、pclass、isMaleというパラメータに対してこの係数をかけるわけですね。たとえばageの係数はだいたい-0.001なので、年齢が1歳あがるごとに生存率が0.001さがると仮定していることになります。
あとR-squaredというのも大事。これが1に近いほど回帰式が確かだということになります。
0.3686というのはぜんぜん良くないですね。業界用語でいうと”弱い相関”と言うらしい。
まあ、統計的有意ではあるのでよしとしましょう。よし。

結論

生存率 = -0.0052002×年齢 + (-0.1827877)×客室の等級 + (-0.4914873)×男かどうか + 1.2762817
「客室の等級」は一等客室から三等客室までなので1~3のどれかの数字、「男かどうか」には男性なら1、女性なら0が入ります。
いちおう計算フォームを用意してみたので、「年齢→客室の等級→男かどうか」の順に入力すると結果がわかります。
1に近いほど生存率が高いことになります。


×(-0.0052002)+×(-0.1827877)+×(-0.4914873)+1.2762817



ガバガバの分析だったのでもうちょっといろいろ勉強したいなあと思った。
お付き合いいただきありがとうございました!

*1:統計界では定番の練習問題らしくて、みんなやってるので参考URLはたくさんあるんですが、特にこの記事を参考にしました [Python]Pandasでタイタニック号の乗客データを解析する - Qiita

*2:生存確率=a*年齢+b*客室の等級+....みたいな感じの計算式を考えて、その係数a,b,...をもとめるという手法。正直よくわかってない。

未来世紀ブラジル

見たので感想を書く。

あらすじ

世は管理社会。マシンの誤作動によって書類の「タトル」と「バトル」が打ち間違えられ、無実のバトル氏は連行されてしまう。それを目撃したのがトラック運転手のジル。

一方、主人公のサムは情報省記録局につとめる男。自分がイカロス風の羽をつけて空を飛びまわり、パツキンの美女を救い出す夢を夜な夜な見ている。

サムは名前打ち間違え事件を処理する中で、ジルが夢のパツキンの美女とそっくりであることを知る。サムは様々なコネを駆使してジルに迫るが…?

打ち間違いで助かったタトル氏は書類嫌いのフリーの空調修理屋で、サムの家にやってくる。カッコいい。ロバート・デ・ニーロ

 

 

 

感想

ここからネタバレあり。

 大きなくくりでいえば「ディストピアもの」ということになるこの作品だが、この管理社会はブラックユーモアたっぷりに描写されている。特殊部隊をさんざん突入させたあとで書類にサインを要求する官僚、役所間のたらい回し、たかが小切手一枚をめぐる官僚間の責任の押し付けあい、決済を仰ぐために上司を追いかけ回す大量の部下、etc…。

ディストピアとあんまり関係のない「モンティ・パイソン」的なネタも随所に登場している。

主人公の母とその友達が美容整形レースをしていて、ご友人はヤブ医者に顔を包帯だらけにされても「合併症らしいわ。先生が言うにはすぐ治るそうよ」と言いはる。主人公のアパートは朝起きると自動的にパンが焼けてコーヒーが淹れられて…と、なんともフューチャーな感じになっているのだがどれも誤作動する。

などなど、盛りだくさん。

このような描写を支えているのが映像作家としてのギリアムの手腕だ。ダクト、タイプライターとパソコンが合体したような端末、巨大なビル、スーパーカミオカンデみたいな尋問室、汚いババアの顔など、どれもケレン味たっぷりに描かれている。「リベリオン」のような管理社会の雰囲気を保ちつつ「スター・ウォーズ」「Fallout」「モンティ・パイソンの人生狂騒曲*1」を足した感じで、「Fallout」っぽいガジェットが好きな人はいくつか楽しめるシーンがあるのではないかと思う。

ギリアニメーションは冒頭のニュースのシーンにちょこっとだけ出てくる。

本題

 この映画の骨格を要約すると次のようになる。

「夢に出てきた理想の女性と現実で結ばれようとするが、それは失敗し、妄想の中だけで達成される」

正確にいうと主人公は「夢に出てきた理想の女性と顔が同じだけの現実の女性(ジル)」と結ばれようとしているだけなので、このような試みが失敗するのは客観的にはわかりきっている。現実の女性が、夢のなかの女性に対する愛を受け入れてくれるとは考えにくい。

だが彼の立場ではそう切って捨てることはできない。なぜか。

ジルの存在があまりにも「現実的」すぎるからではないかと思う。

理想の女性が目の前にあらわれることのどこが現実的なんだと言う人がいるかもしれないが、この「現実」とは「象徴化できないもの」を指している。

ジルは彼にとって「妄想の極限」である。妄想が実現してくれるのはいいことのように思われるかもしれないが、それは人間に狂気をもたらす。「精神病者」になってしまうということだ。

ラカンが述べたように、人間の「欲望の対象」というのはふつう隠蔽されている。糸井重里の名コピーに「ほしいものが、ほしいわ。」というのがあるが、これがよい説明になっていると思う。「なぜそれが欲しいのか」という理由を説明するのはとても難しいことで、「みんな持ってるから」とか「材質が気に入った」とか口でいってみても、欲しいものを目にしたときに自分の心のなかにわきあがってくるあの「欲望」を説明できていないことに気づくだろう。

それに対して、精神病者の「欲望の対象」は実体化している。幻聴・幻覚を想像すれば、妄想にすぎないことが実現してしまうことがいかに恐ろしいかわかるだろう。ジルはそのような意味で、主人公にとって恐ろしいものだ。だから彼は狂ったようにジルを追いかけてしまう。また、ジルは妄想と現実の交わる異常なポイントそのものだから、そのポイントに直接触れてしまうこと=終盤のセックスシーンは、彼に決定的な破滅をもたらす。あのシーンでジルが長髪のかつらをつけているのは不自然に思えるが、主人公が現実から妄想に足を踏み入れてしまったことを表していると考えると納得がいく。

その他
  • ジャック役のペイリンはいい演技をしている。笑顔で「僕たちは旧友だ。だからしばらく近寄らないでくれ」みたいなことをいうシーンはいかにも英国人。
  • ラストシーンは主人公が発狂したことがわかるオリジナル版と、ジルとトラックで逃げ出すところで終わるハッピーエンド版があるらしい。ひどい改変。
  • ヘルプマン氏のトイレを手伝うシーンや、棺桶から肉塊がくずれ落ちるように出てくるシーンなどの「汚さ」がいい味出してる。
  • いつのまにかジルが主人公を好きになっていることは唐突に感じた。
  • 主人公の夢のなかや拷問のシーンで出てくる赤ちゃんのような仮面、Green Dayの「Basket case」のPVにも似たようなやつが出てきたけど海外ではよくあるやつなんだろうか。シンプルながらに気持ち悪くてよかった。 


Green Day - Basket Case [Official Music Video]

 

 

*1:食事会場が「クレオソート氏」のスケッチとどことなく似ている 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm280619

アウト寸前がカッコいい

 この世で何が怖いといっても、「バイトに遅れる夢」と「何をしでかすかわからない悪役」ほど怖いものはない。後者の代表的なキャラクターといえばノーマン・スタンスフィールド。「レオン」でゲイリー・オールドマンが演じた極悪麻薬捜査官だ。

※以下、映画「レオン」「イングロリアス・バスターズ」「パルプ・フィクション」についてのネタバレがあります

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 スタンスフィールドは、麻薬取締局の刑事であるにもかかわらず自らもまたドラッグ中毒だという矛盾をはらんでいる。麻薬の錠剤を噛みつぶし*1ベートーヴェンを聴きながらショットガンを撃ちまくって、何人殺しても平気な顔をしている。これだけでも恐るべきキャラクターだが、スタンスフィールドのほんとうの怖さは、怒りの沸点がつかめないところだ。

 この男はキレるべきときにキレないのに、キレなくていいところでキレる

 麻薬を横領していた部下を問いつめる時なんかは大声を出さない。しかし、

「部下を全員呼べ」という指示を出して

「全員?」と聞き返されたときは

全員だ!!!」とそれはすさまじいキレ方をする。

www.youtube.com

 なんというか身内にはいてほしくないタイプの人間だが、観客に「次に何をしでかすかわからない」という緊張感をあたえる意味ではすばらしいキャラクターだといえる。

 

 この型のキャラクター造形・ストーリーづくりがうまいのが映画監督クエンティン・タランティーノだ。タランティーノ映画には「平穏の突然な破綻」という流れがよく見られる。「イングロリアス・バスターズ」なんかほとんどその繰り返しと言っていい。要はくだらない会話を長く続けたあとに突如として銃撃戦がはじまるあのスタイルのことだ。*2

 タランティーノの出世作「パルプ・フィクション」からこのスタイルは確立されている。ダイナーでくだらない会話をしているカップルが銃を振り回して強盗をはじめる印象的なオープニングがまさしくそれだ。

 

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パルプ・フィクション」といえば、殺し屋二人組もスタンスフィールド刑事のようなキャラ性を持っている。サミュエル・L・ジャクソン演じるジュールス(右)は、ハンバーガーの話をしながら片手間に男を撃ち殺したかと思えば突然大声を出してキレる。かと思えばでたらめな聖書の一節を暗誦してみせる。

 ジョン・トラボルタ演じるヴィンセント・ベガ*3(左)は、ビジネスライクな面があるかと思えば短気で、たとえどんな状況であっても人に命令されることを好まない。

 ふたりとも「いい人」「行儀のいいカッコよさ」とはほど遠い人間だが、それでも魅力的だ。変にカッコつけてるキャラクターよりも、こういった人たちのほうが(映画としては)いいなあと思う。アウト寸前がカッコいい。

 

 

 

*1:

Gary Oldman - Leon - pills - YouTube

*2:ヘルシュトローム少佐を交えて人物当てゲームをするところなどがわかりやすい。

*3:トラボルタがいちばんカッコよく演じている役だと思う

サークルクラッシュとは皇居であり、天ぷらである-バルトで読み解くサークルクラッシュ

はじめに

 浜の真砂は尽きるとも、世にサークラの種は尽きまじーーというわけで、サークルクラッシュ*1は今やありふれた現象だ。大学の文化系サークルを筆頭にして、構成員が恋愛経験にとぼしい集団なら「サークルクラッシャー」は発生しうる。

 そしてサークルクラッシャーが存在する以上、被害者(と呼ぶべきかはわからないがともかく被害者)である「クラッシャられ*2」が存在する。べつに同性愛でもなんでもサークルクラッシュは起きうるのだが、ここからは「サークルクラッシャーが女性、クラッシャられが男性」として話を進めていこう。まあこの組み合わせが一番多いだろうからゆるしてほしい。

 サークルクラッシャーが自らの承認欲求*3を満たすために女性の少ないサークルで「姫」として君臨し男性メンバーに愛想をふりまく。だが、やがて男性どうしの嫉妬によってサークル全体が崩壊へといたるーーというのがクラッシュ現象の一般的な解釈だ。しかし、この解釈はいささか「クラッシュの中心」にかたよった見方ではないだろうか。

空虚の中心

 フランスの思想家ロラン・バルトは、日本を題材にして「表徴の帝国」という本を書いた。その中でバルトは、大都市東京の中心が「空虚」な皇居であることに驚いている。f:id:silver801:20151222235534j:plain

 いかにも西洋人であるバルトにとって、都市の中心とは教会、官庁、銀行、広場などの社会的であり有意味なものだった。だが、東京においては、中心は、彼の言い方を借りるならば「神聖なる<無>」である。重要ではあるが、誰も見ることができず、緑におおわれ、堀で防御された、タクシー運転手に迂回を強いる禁城。よくよく考えたら、世界随一の大都市の中心が<無>であるというのも妙な話だ。バルトが見た皇居とは、そのような意味で「非現実的な中心」だった。

 いったいロラン・バルトの主張がサークルクラッシュにどう関係するのか。先をいそぎたいところだが、ここでもう一つ「天ぷら」の話をしよう。f:id:silver801:20151223000221j:plain

  バルトはかなりの日本びいきで、天ぷらを

1つの逆説的な夢、純粋にすきまからだけでできている事物という逆説的な夢を、具現するもの

と褒めたたえている。そんなに高い天ぷらを食べたこともない日本人からすると「そこまで言うほどかなあ」という気がしないでもない。だが、ともかくバルトはそう思った。

 すこし考えてみれば日本人にも納得のいく話である。いわく洋風の揚げものというのは油の量感を味わうものだ。バルトの指す「フライ」が何かはわからないが、フィッシュ・アンド・チップスのようなものだろうか。

 それに対して日本の天ぷらに求められるのは言ってみれば「サクサク感」である。バルトふうに言いかえれば「すき間を味わう」ということだ。天ぷらというのは、中心がころもで覆われているように見えて、その本質はそうではない。

サークルクラッシュの中心

 ようやく話を着地させることができる。つまり、サークルクラッシュという現象も、ここまでの例のように「中心が空虚である現象」として解釈されるべきということだ。

 サークルクラッシュにおいて、サークルクラッシャー自身がどれほど魅力的かということは問題にならない。サークルクラッシャーは魅力的な偶像ではない。東京の持つ文化力や経済力の主役が皇居ではありえないように、天ぷらの主役が"たね"ではありえないように、サークルクラッシャーはクラッシュの主役たりえない。

 なんらかの(空虚でない)中心があって、それが周辺に影響をおよぼすーーというのは自然でわかりやすい考えかただが、正しいとは限らない。このような「天動説」的な考え方にとらわれず、「地動説」的な考えかた、つまり「じつは回ってるほうが主役じゃないのか?」と考えてみることは、どのような問題においても大切だ。 

*1:恋愛経験に乏しい男性または女性の割合の多いサークルや集団に少数の異性が参加した後で、その異性をめぐる恋愛問題によって急にサークル内の人間関係が悪化する現象のこと。また、それによって結果的にサークルが崩壊する現象のこと。なお、同性愛などでも起こりうる。<サークルクラッシュ同好会とは - サークルクラッシュ同好会の定義>

*2:ここではサークルクラッシャーに翻弄される男性を指す

*3:SNSで乱用されている言葉なのであまり使いたくないが、まあ仕方がない

完全な言語 - 記号と感覚の一致

1.はじめに

荒俣宏の「パラノイア創造史」という本を古本屋で見かけて買ってみたのだが、なかなか面白かった。「創造と狂気」をキーワードにしたエピソードを、アレクサンドリア図書館の炎上から岩倉具視全権大使による遣欧使節団の渡米にまでおよぶ雑学をまじえながら紹介しており、荒俣宏という人の博覧強記を思い知らされる気がした。

この本の「偉大なる記憶力の持ち主」というエピソードの中に「普遍言語」「完全言語」という興味深い概念が出てきたので少し紹介してみたいと思う。

2.共感覚

共感覚」というものをご存知だろうか。共感覚とは「文字に色が見える」「音に色が見える(色聴)」「数字に形を感じる」といったように、ある刺激に対してふつうの感覚とは異なるものを同時に感じることをいう。色聴ならば「ドは赤色、レは黄色、ミは緑色がかかった青色…」といったぐあいだ(色は一例)。とくに文字・音に色が見えるというのは言わば「ありふれた」共感覚で、さかんに研究されているようである。

これらの共感覚はかなりの一貫性をもっており、研究者が共感覚者に対して何度も実験を行っても間違えるようなことはないらしい。

さて、共感覚というのはここまで紹介したような単純な感覚の対応に限られているわけではない。C.B.シェレシェフスキーという「五感すべてにわたる」共感覚を持った男がその一例である。

3.「記憶の人」シェレシェフスキー、そして完全言語

シェレシェフスキー、通称「記憶術師シィー」は、すさまじい記憶力と共感覚で名を馳せたラトビア生まれのユダヤ人である。無意味かつ膨大な数列の暗記までをも可能とした記憶術の詳細は割愛させてもらうが、真に驚くべきはその共感覚である。彼は、音に対して「色、感触、におい、味、これらを総合したリアルな体験」を感じることができたらしい。

さらに、彼は言語にたいして独特な感覚をもっていた。

ここにという線がありますが、これは、何かЭ(エー)――Ы(ウイ)――Й(イ)の間の音です。――このような線、これは子音で"Р(エル)"という音に似ていますが、純粋な"Р"の音ではありません。

このような供述から導かれることがある。彼の感覚がただしいとするならば、「エル」という発音を表すには「」のようなかたちの文字が使われるべきであって、キリル文字において「エル」を「Р」というかたちの記号で表しているのはまったくの間違いということになる!

しかしこのことは新たな希望を示唆する。われわれの用いる言語は今のところ、文字の形と意味には特に関連性がなく、言ってみれば「暗号解読ゲーム」のような状態になっている。だが、もし発音と記号をうまく対応させることができれば、「記号のかたち」と「意味」が完全に合致した、「完全言語」「普遍言語」がつくれるということである。

4.おわりに

紹介はしなかったが、大正=昭和期でも随一の怪建築「二笑亭」に関するエピソードやドグラ・マグラの元ネタとなった(と荒俣宏が主張する)「桜姫全伝曙草紙」についての逸話など、とくに日本の精神病について秀逸な章が多いので興味のある方には一読をおすすめする。こういう話をする際には定番の感もあるフロイトについての章もある。

パラノイア創造史 (ちくま文庫)

パラノイア創造史 (ちくま文庫)